兵庫県内の人々にとって、1月17日は阪神・淡路大震災の教訓を心に刻む日になっているが、もうひとつの“1・17”の教訓を覚えているだろうか。1987年1月17日。日本人女性初のエイズ患者が神戸で発生したことが発表された日だ。後に「神戸エイズパニック」といわれるほど、感染症への不安が全国に渦巻いた。新型コロナウイルスの感染が広がり、差別や偏見による二次的な被害も出ている中、関係者は「当時の教訓が生きていない」と訴える。(高田康夫)
〈神戸で女性エイズ患者/日本人初の異性間交渉発病〉
87年1月18日の神戸新聞は朝刊1面トップで報じた。同性間交渉でしかエイズウイルス(HIV)に感染しないと思われていた当時、異性間交渉によって感染、発病した患者が確認され、その数日後には女性の死亡も伝えられた。国内はパニックになった。
女性の個人情報や顔写真は一部のマスコミに掲載された。現在ほどエイズについての正しい知識がない中、根拠のないうわさやデマが広まった。自治体の相談窓口は全国からの相談、検査を求める問い合わせが1日千件以上も殺到。検査を受けた人の中には、自殺にまで至ったケースもあったという。
「正義の名の下に個人情報をメディアが暴き、その結果、無用のパニックを呼び起こした。患者のプライバシーが守られなければ、感染者は受診や診断をためらうようになり、感染拡大に輪がかかる。それが神戸パニックの教訓だ」。HIV感染者の支援などに神戸で取り組む非政府組織(NGO)「BASE KOBE」代表の繁内幸治さん(59)が振り返る。
その後も兵庫県は重症急性呼吸器症候群(SARS)の発症者が立ち寄ったり、新型インフルエンザの国内発生第1例が出たりするなどしたが、患者への偏見、差別は解消されないまま。新型コロナはそんな社会に再び亀裂をもたらした。
繁内さんは「ネット時代に、誰もが善悪を勝手に判断して発信し、それに同調してしまう」とし、「感染者を患者と見ず、『感染源』『ウイルスをばらまく人』と見る。そうやって社会は分断され、自分の首を絞めている」と指摘する。
パニックを経験した神戸で、「ともに生きる」をエイズ対策の根幹に据えて活動を続ける繁内さんは「まさにこれからはウイルスと向き合う社会。新型コロナも収束して終わりではなく、二度と二次被害を起こさないという意志を社会が持つことが必要だ」と話す。
