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デイサービス運営で多忙な日々を送る大井千加子さん(左)。震災の悲しみを越え、生きる力を得る場だ=福島県南相馬市(本人提供)
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デイサービス運営で多忙な日々を送る大井千加子さん(左)。震災の悲しみを越え、生きる力を得る場だ=福島県南相馬市(本人提供)
大井千加子さん(本人提供)
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大井千加子さん(本人提供)
神戸新聞NEXT
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 高齢者に寄り添った日々が、東日本大震災で奪われた。10年前の当時、福島県南相馬市の介護施設で勤めた大井千加子さん(59)は救えなかった命を思い、心の不調に苦しんだ。それでも「忘れないことが恩返し」と体験を語り、その際に訪れた淡路島の住民らとも交流。福島第1原発事故に伴う避難指示の解除を受け、デイサービスを新設した。「安心して故郷に戻れる環境をつくる」と前を向く。(佐藤健介)

 泥にまみれたお年寄りを抱いた重みが、今でも記憶によみがえり、涙する。

 あの日、勤務先の介護老人保健施設「ヨッシーランド」(同市原町区)で激しい揺れに襲われた。肌を刺す浜風に震え、車いすやベッドに乗り、駐車場で助けを待つ利用者たち。風呂上がりで、バスタオルでくるんだだけの人もいた。

 どす黒い津波が海岸の林をなぎ倒し、近づいてきた。職員は車いすやベッドを押し、小高い場所へ全力で駆け上がる。大井さんもベッドを押したが、キャスターが畑の土に埋まって動かなくなった。津波に追い付かれ、腰まで漬かった。

 周囲を見渡すと、多くの利用者が泥に埋まり、うめき声を上げていた。体を引き上げ、乾いた地面に横たえたが、30人以上が寒さなどで次々と力尽きた。

 「大変な仕事だろう。いつも一生懸命に介護してくれてありがとう」との温かい言葉はもう聞かれない。以降1年近く、震災を思い出すたび、涙があふれ、眠れず、手が震えた。

 原発事故で故郷の同市小高区は警戒区域となったため、同居の息子夫婦や孫が市外に転居するなどして1人暮らしに。孤独感に悩んだ時、「人と関わり、心を通じ合わせたい」と、介護の道を選んだ原点を思い出した。生きる力が湧き、各地で経験を語り始めた。

 阪神・淡路大震災から20年の2015年には、大井さんの活動を知った淡路島の住民に招かれて講演。会場では阪神・淡路の遺族らが「しあわせ運べるように」「花は咲く」を歌い、迎えてくれた。

 「心の痛みや壮絶な記憶を抱えても一人ではない。同じ被災地の島で強く前を向けた」。そして新たな挑戦を決意。避難指示解除後の17年以降、小高区にデイサービスを開設した。

 「老齢になれば、余生を新たな土地で過ごそうとは考えない。放射性廃棄物が山積みになっていても、大切な故郷だから。安心して戻れる福祉施設をつくろう」

 会社名は「彩葉(いろは)」。四季を彩る葉っぱのように、いろいろな人生を歩んだ高齢者らと交流できる場所にしたい-との思いを込めた。

 新型コロナウイルス禍でも、認知症の人対象の料理教室を少数で行い、密を避けて野外でミニコンサートを開催。防止策を取り、穏やかな暮らしを支える。

 淡路島との交流も続く。19年には復興の象徴として、島から南相馬へ運ばれたスイセンの球根を植えて花壇を作った。「震災の恐怖も悲しさも悔しさも、語り部を通じた出会いも全てが力。たくさんの笑顔の花が咲くように」と願う。

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