2月4日、101歳で亡くなったピアニスト横井和子さんは、晩年まで第一線の演奏家として活躍した。兵庫県芦屋市をはじめ長く阪神間に暮らし、指揮者の朝比奈隆さん(故人)らと協演するなど、関西の音楽文化向上に尽くした。
波乱万丈の人生だった。1920年、新潟市で生まれるが、12歳で父母を病気で相次いで亡くし、祖母の妹の家のある神戸へ。41年に東京音楽学校(現東京芸術大学)を卒業。翌年結婚したが、夫は戦死。戦後は弟も病気で亡くした。
「音楽があったからこそ、悲しみを乗り越えられた」。家族の死別や戦争を乗り越えてピアノの向かい続けた。2010年に90歳で開いた70周年公演は当時、現役ピアニストでは最高齢と評された。勲三等宝冠章受章をはじめ兵庫県文化賞、神戸市文化賞などを受賞。1987年には神戸新聞紙面に「わが心の自叙伝」を連載するなど、執筆活動にも取り組んでいる。
室内楽団・日本テレマン協会の音楽監督延原武春さん=神戸市=は「関西の音楽が東京に負けないようにが口ぐせだった。ご冥福を祈りたい」と話した。
後進の育成にも熱心で大阪教育大、京都市立芸術大、大阪芸術大で指導。京都市立芸大時代に師事したピアニスト坂本恵子さん=神戸市=は、90歳記念公演を鑑賞した。「お元気に弾いておられたが残念。厳しい先生だったが、優しい面もあった。曲に込められた思いを大切にするようご指導いただいた。感謝しています」としのんだ。(津谷治英)