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「人間として尊厳を守った島田さんを描きたかった」と話す佐古忠彦監督=大阪市淀川区
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「人間として尊厳を守った島田さんを描きたかった」と話す佐古忠彦監督=大阪市淀川区
島田氏の立場を説明する大田昌秀さんの映像(映画「生きろ」製作委員会提供)
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島田氏の立場を説明する大田昌秀さんの映像(映画「生きろ」製作委員会提供)

 太平洋戦争末期の沖縄県知事で、神戸出身の島田叡氏を描くドキュメンタリー映画の公開や舞台が相次いでいる。死に直面する県民、玉砕を求める軍との板挟みになりながら住民に「生きろ」と訴えた実像に迫る。(津谷治英)

 島田氏は1945年1月、最後の官選知事として沖縄に赴任。疎開や食糧調達など住民保護に取り組んだ。「島守」とたたえられる一方、行政官として沖縄守備軍に協力し、男子中学生の名簿を提出。学徒戦闘員「鉄血勤皇隊」編成の一因になったとの声もある。

 その複雑な軌跡を22人の証言で分析するのがドキュメンタリー映画「生きろ 島田叡」。監督はTBSプロデューサー佐古忠彦さんで2013年に放送したドラマを機に取材を始めた。米国統治下の沖縄の不条理を訴えた政治家・瀬長亀次郎の作品も手掛けている。

 注目は鉄血勤皇隊として戦火を生き、戦後に知事を務めた故大田昌秀さんの証言だ。名簿の提出は国が選んだ官選知事の職務だったと説明。「当時の実情を理解しないと見誤る。軍隊は県民も一緒に玉砕するんだと言っていた中で、何とか住民の命を守ろうとした」と指摘する。

 辺野古など戦後の基地問題に至る課題の根が、沖縄戦に端を発することを伝える言葉が並ぶ。佐古さんは「島田さんを偉人としてみるのではなく、一人の人間として描いた。そうすることで『生きろ』と訴えた意味を問いかけたかった」と狙いを明かす。

 27日から神戸・元町映画館で公開される。

 一方、沖縄の関係者でつくる団体は、演劇「島守のうた」を完成させた。激戦の中、住民とともに行動した島田氏を地元の俳優が演じた。昨年、島田氏とともに殉職した荒井退造警察部長の故郷・宇都宮市で公演予定だったが、コロナ禍で延期。2月末から約1週間、オンラインの動画公開に踏み切り、全国で視聴された。

 神戸の視聴者から「島田さんのことを知ることができ、誇りに思った」との声が寄せられたという。総合プロデューサー西平博人さんは「コロナ禍で平和教育の機会が減少している中、沖縄戦のことを伝えられた」と手応えを話した。

 また神戸新聞社、サンテレビの兵庫、荒井氏ゆかりの栃木、沖縄の3県のメディアは連携して映画「島守の塔」の製作に取り組む。昨年、公開予定だったが、コロナ禍で撮影を中断。秋以降に再開する予定。製作費の寄付を募る「映画島守の塔サポーター」の協力を呼び掛けている。事務局TEL0800・800・8171

【島田叡(しまだ・あきら)】 1901年、神戸市須磨区出身。神戸二中(現兵庫高)、東京帝国大(現東大)を卒業。旧内務省に入り、地方の警察部長などを歴任。45年1月、最後の官選知事として沖縄に赴任した。地上戦の最中、43歳で消息を絶った。

 

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