異様な光景に思わずたじろいだ。「排除の石」。そんな言葉が浮かんだ。
関西屈指の高級住宅街を抱える兵庫県芦屋市。散歩道として住民が行き交う河川敷に、コンクリートが打たれ、尖った石が敷き詰められている。ホームレスを寄せ付けない、露骨な敵意を感じた。
石があるのは阪神芦屋駅近く、芦屋川に架かる公光橋の下。その存在は、神戸新聞の読者が教えてくれた。5月、兵庫県三田市の武庫川河川敷に治水のために敷かれた石を紹介した記事を読んで、「私の住む芦屋には、もっと嫌な石があるんですよ」と連絡をくれた。
その女性(61)は、生まれも育ちも芦屋。2000年代前半、犬の散歩で毎日のように公光橋の下を通った。そこでホームレスの男性を見ていた。
「こういう言い方は変だけど、小ぎれいな格好をしていてね」。男性はビニールシートで住居を作り、そばには畑もあった。人懐っこい性格なのか、通り掛かる人に声を掛け、顔なじみもたくさんいたようだ。女性は深い交流はなかったが、他の犬と一緒に遊んでいる姿や、子どもと話している姿を記憶している。
いつしか男性はいなくなり、その後、石が敷かれていた。「公共の場所を占拠するのは良くない。行政が市民のため、まちのためにやっているのは分かる。だけど、あのやり方は哀しいよね」。そう話し、つぶやいた。
「将来、子どもたちに石のことを聞かれて、何て説明するんだろう」
石はいつ敷かれたのか。なぜ、あのような形になったのか。
インターネットを検索すると、あるブログを見つけた。ブログによると石は2005年ごろに設置されており、ホームレスの問題は芦屋市議会でも取り上げられたという。
市議会の会議録を調べると、確かにホームレスに関する質疑が複数あった。中でも目を引いたのは、02年9月定例会での一般質問だった。
ある議員が「芦屋市からすべてのホームレスをなくすことが最終目標でありますが」と前置きし、公光橋下のホームレスについて言及。「『これぞ芦屋!』という景観をつくりだしている芦屋川は、散策道として市民に愛されている。市民の安心と憩いの場を取り戻すためにも、早急な対処が必要」と述べていた。
バブル崩壊後の不況が長引き、ホームレスの増加は全国的な問題となっていた。この年の8月、「ホームレス自立支援法」が施行。「地域社会とのあつれきが生じつつある」とし、国や自治体に支援の責務があると明確に規定した。ホームレスの人権に配慮し、必要な施策を講じることを求めた。
そのような中、芦屋市、そして河川敷を管理する兵庫県西宮土木事務所は、どう対応したのか。
石が敷かれてから15年以上が経過している。設置の経緯や住んでいたホームレスなどについて公文書を情報公開請求したが、やはり保存年限を過ぎており「不存在」だった。
一方、当時を知る元議員らを取材すると、石はホームレス対策で県西宮土木事務所が設置したという。
石が敷かれるまでの経緯は、04年の市議会議事録に記されていた。市民からホームレス退去を求める「強い要請」が再三あり、市と県西宮土木事務所が共同で対応。複数のホームレスに対して「粘り強い説得」を2年余り続けた結果、「公光橋下に公共空間が回復した」。
ただ、市内には当時十数人のホームレスがおり、緊急措置として県西宮土木事務所がフェンスを設置したという。石は、その後敷かれた。議員の1人は「ある場所を立ち退くと、市内の別の場所に移る。いたちごっこだった」とする。
当時市長だった山中健さん(71)は「市民からは『芦屋にホームレスは似合わない』という排除を求める声が圧倒的だった」と振り返る。石が設置された詳細は、覚えていないという。
芦屋市や県西宮土木事務所で対応に当たった職員は、既にいなかった。しかし、当時の上司がホームレス支援を担当していたという芦屋市職員は、再任用でいた。その上司はホームレスの元に足しげく通い、厚生施設につなごうとした。職員は「私たちは福祉の部署だったので本人の意思を尊重しながら、何とか生活を立て直してもらおうとしていた」と話す。
石について記した公文書は既になく、詳細を知る職員もいない。異様な石だけが、芦屋川に残っていた。
一方でまちを顧みれば、もっと巧妙な形でホームレスを追い出していることに気付く。「排除アート」と呼ばれるベンチやオブジェがあふれているのだ。(土井秀人)
