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大橋翠石筆「明治天皇献上作大下図」(1902年)。作品制作の経緯も記されている
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大橋翠石筆「明治天皇献上作大下図」(1902年)。作品制作の経緯も記されている
岡林嘉吉(前列左端)の家族らと写真に納まる大橋翠石(前列左から3番目)=1931(昭和6)年撮影
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岡林嘉吉(前列左端)の家族らと写真に納まる大橋翠石(前列左から3番目)=1931(昭和6)年撮影

 寅年(とらどし)の新春記念展「丹波を訪れた四人の巨匠たち」(神戸新聞社後援)が15日、兵庫県丹波市立植野記念美術館(同市氷上町西中)で開幕する。「日本一の虎の画家」とも呼べる大橋翠石(すいせき)(1865~1945年)ら、近代日本画壇で活躍した4人の名画約90点を紹介する。(堀井正純)

 翠石は、「猛虎護児図(もうこごじず)」など、寅年の幕開けをことほぐような勇猛な虎の絵の数々を手掛けた名匠。神戸・須磨にアトリエを構え、国際的にも高い評価を得た。1900(明治33)年のパリ万博では日本人画家として唯一、金メダル(金牌(きんぱい))を受賞。4年後の米セントルイス万博でも連続して金牌に輝いている。

 戦前は巨匠横山大観や竹内栖鳳(せいほう)らと並ぶ人気や評価を誇り、大隈重信、東郷平八郎ら著名人も翠石の絵を愛した。翠石を研究する大阪国際大の村田隆志教授は「中央画壇と距離を置いて活動したため、死後、忘れられた存在となってしまったが、近年再評価が進んでいる」と説明する。

 本展では、翠石が明治天皇へ献上した虎の大作の原寸大の下絵を出品。献上された虎図は、寅年のたびに宮中に飾られていたと伝わる。下絵は、神戸市内の翠石の遺族宅で村田教授が発見した。画家の名声が宮中にまで届き、絵の献上を命じられた経緯などが、下絵の上部に、翠石の師の手で漢文で記されている。

 翠石は昭和初期に丹波を訪れ、地元の写真家と交流し、作品も残している。

 このほか、蔵元「西山酒造場」を営んだ俳人・西山泊雲と親交を深めた異才・小川芋銭(うせん)、「日本最後の文人画家」と称される富岡鉄斎、花鳥画の名手・幸野楳嶺(ばいれい)が丹波市内に残した作品を中心に展示。七福神やタイなど、新春らしくおめでたい画題の作品も並べる。

 3月13日まで。月曜休館。一般600円ほか。同館TEL0795・82・5945

■旧氷上郡初の写真館開業・岡林嘉吉 写真提供し翠石と親交

 日本画家・大橋翠石は昭和初期、現在の丹波市を訪ね、地元の写真家岡林嘉吉(かきち)(1859~1932年)と出会った。翠石は、奇岩怪石で知られる丹波の景勝地、川代渓谷の風景を自らの絵の背景に描くため、参考資料とする写真の撮影を嘉吉へ依頼。以降、翠石が亡くなるまで岡林家との交流は続いた。

 嘉吉は1892(明治25)年、氷上郡内で初の写真館「岡林写真館」(同市柏原町柏原)を開業。地方では、まだ写真技術を持つ者は珍しく、嘉吉は柏原で最初に洋服を身に着け、自転車に乗ったハイカラな人物だったという。

 大阪国際大の村田隆志教授によると「翠石は人付き合いが苦手で、自宅を出ることもあまりなく、未知の土地を訪ねることにも消極的だった」という。彼にとって、丹波訪問や嘉吉とのつきあいは例外的なことだったようだ。

 岡林家で嘉吉の家族を前に、翠石が墨絵のライオンを描いた逸話も残り、岡林家には「獅子之図」「観世音菩薩尊像(かんぜおんぼさつそんぞう)」などの翠石作品が残されている。贈られた丹波名産マツタケの返礼に、翠石が制作した「松茸図(まつたけず)」の色紙もある。

 初代嘉吉から数えて5代目となる写真館の岡林利幸さんは「変わり者同士、気が合ったのでしょうか?」と苦笑する。今回の展覧会では、作品のほか、2人の交流を伝える写真などもパネルで紹介する。

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