NHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなった植物学者、牧野富太郎(1862~1957年)。兵庫県丹波篠山市に住み、教員だった樋口繁一さん(故人)と親交があり、老舗旅館「近又(きんまた)」に泊まった2人を収めた貴重な写真や、牧野揮毫(きごう)の書などが樋口家に残っている。2人のゆかりの品々は、ROKKO森の音ミュージアム(神戸市灘区)で開催中の牧野の企画展で展示されている。(谷口夏乃)
牧野は高知県生まれ。兵庫県花ノジギクなど1500種類以上の植物を命名、「牧野日本植物図鑑」を刊行するなどし、「日本の植物学の父」と呼ばれる。
繁一さんの息子で、「篠山自然の会」顧問の清一さん(86)=丹波篠山市=によると、繁一さんは1931年、大阪での植物採集会に参加し、牧野に影響を受け、篠山一帯の植物を調べていた。
繁一さんは、丹波篠山市日置の調査時に多年草「ギボウシ」に似た植物を見つけていた。36年、三田市の永沢寺周辺であった植物採集会に参加していた牧野に鑑定を依頼すると、新種と判明。牧野が「ヒオキ・ギボウシ」と命名したと当時の新聞にはあるが「学術名がつかず、新種になっていない」と清一さん。
38年5月9日、繁一さんは牧野を丹波篠山に招き、「安田の大杉」(丹波篠山市安田)▽「六本柳」(同市上宿)▽「裸榧(はだかがや)」(同市日置)▽希少なラン「トケンラン」-の自生地を案内。小金ケ嶽に登りシャクナゲの採集もした。近又の写真はこのときに撮られたという。
篠山へ訪れたのは1回だけだったが、繁一さんとの交流は続いていたことを示すはがきが存在。そのほか、牧野らと氷ノ山に登った際の記念の寄せ書きや、複数の書など約15点がある。
清一さんは「父はよく牧野先生を『無邪気な子どものような人』と言っていた。牧野先生は当時77歳、父は28歳と年は離れていたが、父の依頼に応じてくれるくらい親しみやすく、植物を通したつながりがあったのでしょう」と話した。
ROKKO森の音ミュージアムでの企画展「牧野富太郎のみちくさ 音楽、書、人々との交流」では、清一さんの所蔵品のほか、牧野が交流のあった人に贈った直筆の書画などが並ぶ。7月2日まで。
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