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カメラを前におどける三澤孝夫さん。旺盛なサービス精神は、飲食店のプロデュースにも生かされている=丹波市市島町喜多
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カメラを前におどける三澤孝夫さん。旺盛なサービス精神は、飲食店のプロデュースにも生かされている=丹波市市島町喜多
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 最近、兵庫県丹波市で食に関する取材に行くと、やたらと同じ名前を耳にする。三澤孝夫さん(61)。パン職人でありながら、自らの店でハンバーガーなどを提供しつつ、飲食店のプロデュースも手がけているらしい。依頼を受ければ、客が殺到する人気店に仕立て上げると評判だ。丹波地域にその名をはせる「仕掛け人」は一体何者? 本人を直撃した。(伊藤颯真)

 「おう、今日はよろしく」。軽いあいさつで取材に応じてくれた三澤さん。パン職人歴40年。冗談交じりに「ハンバーガー界の巨匠」を自称する。

 周りを山や田んぼに囲まれた丹波市市島町喜多の古民家で「市島製パン研究所」を営み、飲食業者のプロデュースは2016年から取り組む。これまでハンバーガー店やパン店、ジェラート店など12店の新規開業などを手がけた。

 調理の指導のほか、立地選びや販路開拓などを総合的に支援。経験に裏打ちされた理論とあふれ出る行動力を両輪とする「三澤流」を確立している。「アイデアが降ってくると、うれしくて。自分の頭の中で成功の道筋が見える」

 相談してきた相手を持ち前のトークでぐいぐい引っ張る。「できることは今やらないと」。相談者たちは「決断が速く、とにかくパワフル」と口をそろえる。

 例えば丹波市の「フロッピーバーガーハウス」。飲食業未経験で移住者の池内亮太さん(35)、晴香さん(33)夫妻が22年10月に開いた。地元産品を使う▽安売りしない▽駐車場は5台分以上-などの「三澤理論」を守りつつ、独自のバーガーを提供。行列店の仲間入りを果たしている。

 夫妻は当初、川西市在住で大阪市内での開店を希望。三澤さんの存在を知り、助言を求め、その行動力に驚いた。「大阪の候補地を見てもらったら『ここではもうからん』と。その日のうちに福知山市に連れていかれ、空き家を見て回った」と夫妻。後日さらに5市町で物件を探し、最終的に丹波市で自宅兼店舗を構えた。

 新型コロナウイルス禍で客の途絶えた丹波市の老舗日本料理店を、うなぎ料理専門店に業態転換させたことも。最初に相談を受けてから2カ月でリニューアルにこぎ着け、予約が埋まる店に再生した。バイタリティーの源は「自分の経験を誰かに伝えないともったいない」との思いだという。

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 生まれも育ちも神戸・新開地。大学卒業後、地元の製菓、製パン会社に入社した。年下の先輩からは指導はなく、見よう見まねでこねた生地は無言で捨てられる日々。それでも「好きになってもらったらこっちのもの」と、仕事終わりの先輩にビールやビデオを差し入れ、徐々に仕事を教えてもらえるようになった。

 取りつかれたように生地作りに打ち込み、実力と評価を高め、米ロサンゼルスの新店舗や三宮の赤字店舗で店長を任された。入社10年を迎え、1993年に西宮市山口町で独立。2011年には6店舗、従業員約100人にまで事業を拡大した。未明に仕込み、昼に店舗を巡回、夜は経営者同士の会食と多忙を極めた。

 ゆとりを持った今の経営方針に転換したのは50歳の時。一人娘が生まれたのがきっかけだった。

 「初めて子どもの顔を見て、力が抜けた。今の生活を続けていたら、おはようも、おやすみも言えない」

 事業を縮小し、17年春には会社を後輩に譲って、丹波市に移住。市島製パン研究所を開いた。「田舎はブルーオーシャン(未開拓の市場)。固定費を下げれば、都市部よりも長く、自分のペースで店を続けられる」と実感した。

 店が人気となりメディアへの露出を重ねると、続々と経営に関する相談が舞い込んだ。同市に来てからは営業日を週3日に絞っており、空いた時間を使い、田舎に適した経営法を伝授するようになった。

 「話すのが楽しくて、どれだけ相談に乗っても一切疲れない」と三澤さん。現在、移住や経営の相談を受け付けるカフェの開店など、新たな野望に燃える。「裏で店を支え、繁盛させる。『必殺仕掛人』と呼んでください」と不敵な笑みを浮かべた。

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