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 2005年4月25日、107人が死亡する尼崎JR脱線事故が起きた。その直後、JR西日本の本社で、取締役相談役だった井手正敬(74)は、会長南谷昌二郎(68)と社長垣内剛(65)から相談を受けた。

 大事故後の再建を託す次期社長に、誰を充てるか。

 南谷と垣内は、JR東海の事務系役員の名を挙げた。だが、井手は子会社の社長山崎正夫(66)を指名する。「事故は運転士が起こした。山崎なら運転系統に詳しいから」

 05年6月の株主総会で、山崎は副社長に就任。社長昇格を見据えた人事だった。井手は取締役相談役を辞めた。

 「井手商会」と呼ばれるほどの影響力を誇ったワンマン経営者。その最後の仕事が、山崎指名だった。

      ◇

 26日、神戸第1検察審査会は、歴代3社長の井手、南谷、垣内に起訴議決をした。〈本件曲線へのATS(自動列車停止装置)の整備を指示せず放置した結果、未曾有の事故を発生させた〉と断じ、業務上過失致死傷罪での強制起訴への道を開いた。

 その日、井手は「(議決を)深く受け止めなければならないと考えております」とコメントを発表した。一方で、翌27日、井手は強い口調で心情を吐露した。

 「企業風土が悪かったとは絶対に認めない」

 井手はJR西発足後、トップダウンで「親方日の丸」の国鉄経営から脱却を図った。収益拡大のため私鉄と競い、阪神・淡路大震災では陣頭指揮をし、いち早く復旧させた。経営基盤を盤石にし、存在感は不動のものとなった。

 その評価は、脱線事故で一変する。JR西の企業風土が「利益重視、安全軽視」「自由にものが言えない」と糾弾され、事故の背景とされた。JR西も批判を受け入れ、そう被害者に説明してきた。

 心血を注いだ改革を否定され、井手は口を閉ざした。「利益を上げるには乗客を安全に運ぶしかない。利益重視は安全重視とイコールだ」。その主張を、悪しき企業風土の象徴とされた自身が被害者の前で貫けば混乱する。それが、井手なりの論理だった。

      ◇

 社長就任時に山崎は「ワンポイント」とみられていた。「安全のスペシャリスト」は、裏を返せば「経営全般に通じていない」と目された。

 だが、山崎は社内外で求心力を強める。「技術重視、現場重視」をとなえ、やがてJR西再生の象徴となった。

 その一方で、旧国鉄の人脈を頼り、事故調査の情報の事前入手にも手を染めた。社内基盤の弱さから「自分にしかできないこと」を追求した。山崎は、そう釈明する。

 脱線事故を捜査する神戸地検の最終判断が迫った09年の夏。山崎は次期社長に選んだ佐々木隆之(63)らを伴い、ひそかに井手を訪ねた。

 「子会社の役職から退いてほしい」。口を開いたのは山崎だった。井手は「そうですか」と、素っ気なく応じた。

 7月8日、山崎は業務上過失致死傷罪で在宅起訴された。2日後、社長辞任の会見で言い切った。「JR西と井手とは縁が切れた」と。

 山崎はカリスマ経営者との決別を最後の仕事に選んだ。「恨みはない。JR西が新しい段階に入ったんだ」。後を継いだ佐々木は集団指導体制へかじを切った。=敬称略

      ◇

 大規模事故を経て、巨大企業はどう変わるのか。歴代3社長が強制起訴されるJR西日本の歩みを検証する。

(段 貴則、足立 聡)

2010/3/29
 

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