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主なき部屋
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主なき部屋

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 朝、洗濯機を回す。前までは二回だったが一回で終わる。卵料理やサンドイッチが並んでいた朝食は、トーストだけになった。

 JRの脱線事故で亡くなった大阪教育大二年の小前宏一さん(19)=三田市=の母、恵さん(49)にとって日常は「宏一がいないと実感する」ものになっている。

 宏一さんが大好物の缶コーヒーは、箱詰めのままいっこうに減らない。いつまで寝てるのと、怒ることもなくなった。

 四月二十五日の朝。宏一さんを起こし、ハムとトマトを挟んだサンドイッチを食べさせ、送り出した。いつもと同じ一日の始まりだった。

 翌朝、宏一さんは変わり果てた姿で戻ってきた。「死んだという実感なんてなかった。悲しみより、やっと連れて帰ってあげられたという思いでホッとしていた」

 通夜や葬儀で声を上げて泣く友達や恩人らの姿に、「しっかりと終わらせてあげないと」と気を張った。「宏一がいたことを伝えてほしい」とマスコミの取材も受けた。

 二週間が過ぎ、弔問客が一段落した。一人で考える時間が増えた。宏一さんの顔写真が載っている新聞や、テレビの取材に答える自分を見る。亡くなったという事実を嫌でも突きつけられ、つらかった。「誰とも話したくない」。取材をすべて断るようになった。

 「会いたい」。そのころ、事故後初めて宏一さんの部屋に入った。

 棚に並んだ受験参考書やCD、しわができたままの布団。いつもと変わらずそのままだった。宏一さんのにおいも鮮明に残っていた。ただ、部屋の主だけがいなかった。

 「さみしかった。どこかに宏一の姿を見つけたかった」。幼いころの絵や小中高の通知表、卒業文集などを入れた段ボール箱を探した。思い出の詰まった箱はタンスの上にあった。

 ふたを開けた。一番上に乗っていたのが、小学生から夢中だったサッカーのソックス。「笑っちゃって。ぐちゃぐちゃに整理するあの子らしいな」。涙があふれた。それ以上中を見ることはできず、ふたを閉めた。

  ◇  ◇  ◇

 夕食後、ときおり夫の勉さん(51)、長女の恭子さん(23)の三人で祭壇の前に集まる。決まって宏一さんの話になる。寝転がる。視線の先には、ほほ笑む遺影。「生きているだけでいい。ほかは何もいらないのにな」。三人で泣いた。

 事故から一カ月。恵さんと恭子さんは、現場近くの献花台の前に立った。つらくて行きたくなかった。足が震えた。でも行ってよかった。「人懐っこい宏一なら、『他の家族は来てくれたのに、なんで僕には誰も来てくれないの』と怒っていたと思うから」

 涙をぬぐう。「怖がりな宏一へ。もう怖がらなくていいから。静かに休んでね」と祈った。

 四十九日法要を終え、恵さんは六月十三日から仕事に復帰した。「いつも笑って、天真らんまんだった。『いつまでも泣くな』と言っている気がする」。でも、「区切り」なんてない。会いたい気持ちは日に日に募る。

 週に二、三度、宏一さんのパソコンの前に座るようになった。電源を入れる。操作はせず、ただ画面を眺める。

 「宏一が見ていたものを見たい。同じ気持ちで一緒に画面を見ている気がして」(斉藤絵美)

2005/6/18
 

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