高台にある墓地から、妻とともに暮らした北六甲台の町が見える。これからも、この町で生き続ける。だから、この場所にこだわった。
三月下旬、西宮市の山本武(たける)さん(58)は、脱線事故で亡くなった妻淑子(よしこ)さん=当時(51)=の納骨を前に、完成した墓に向き合った。
墓石に桜の枝を彫り込んだ。事故の一週間前、結婚三十年の記念に夫婦で丹後を旅したとき、車窓から見えた遅咲きの桜が今も忘れられない。
北六甲台に移り住んだのは、十二年前のことだ。建売住宅のチラシを見て、淑子さんが気に入った。
控えめな性格だった淑子さんは、何事にもあらがわず、日常を淡々と生きていた。休みの日はほとんど夫婦で行動した。歳月は川のように自然に流れていくはずだった。
朝、玄関で手を振って見送ってくれた妻が、夜、遺体安置所の体育館に寝かされていた。
淑子さんはパート先への出勤途中に事故に遭った。武さんは、その死が受け入れられず、当日の足取りを探り始めた。JR西日本が遺族に公開した川西池田駅ホームの映像を見たが、車中にいた妻の姿は確認できなかった。
昨年三月、同じ思いを持つ遺族とともに、事故当日の目撃情報を募った。四月になって、二両目の車内で妻を見たという女性に直接話を聞けた。もやもやが少し晴れた。
繊維卸業を営む武さんは事故後、間もなく仕事に復帰した。同居する娘二人は忙しく、武さんが週末に洗濯や掃除をまとめてするが、どうにも要領がつかめない。さっさと片づけていた妻に尊敬の思いを抱きながら、洗濯機を回す。
今年五月に長女、続いて二女が結婚する。衣装合わせでウエディングドレスを着た長女の写真を仏前に置いた。
ほっとする思い。その半面、孤独に耐えられるか、不安がなくはない。でも、「心配せんと行ってこい」と娘たちを送り出してやりたい。
二十二日、三回忌とともに妻の骨を納める。墓石に、桜の枝とともに短い一文を刻んだ。自宅玄関に、淑子さんが気に入って飾っていた絵はがきの言葉。
日ごろ気付かなかった言葉の意味をかみしめる。
「伝えたいおもいは/たくさんあるけど/最後はやっぱり/ありがとう」
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「4・25」。あの日がもうすぐ巡ってくる。尼崎JR脱線事故。もう二年、まだ二年。遺族の言葉に耳を澄ました。
(森本尚樹、金海隆至、中島摩子)
2007/4/14