時計を気にしながら、メレンゲを泡立てる。思わず力が入る。
神戸・三宮の料理学校。岡由美さん(39)=伊丹市=は三月十三日、「フランス菓子・上級」の卒業試験に臨んだ。二時間半以内に、直径十八センチのオリジナルケーキを作る。それが課題だ。
尼崎JR脱線事故が起きてから半年後の二〇〇五年秋、由美さんは料理学校に入学した。フランス料理の基礎からパン、菓子へと腕を磨いた。
この日は集大成。デザインを考え、試作を重ねたケーキは「いつも一緒に…」と名付けた。シュー生地で作るスワン二羽を載せる。一羽は自分、もう片方は「主人」。
脱線事故で、夫の和生さん=当時(37)=を亡くした。
和生さんが好きだったイチゴとチョコレートをたっぷり使い、ケーキが出来上がった。審査の結果、合格。ほっとした。
この四年、料理学校に通うことが支えだった。
「料理をしていると、主人を近くに感じる」
和生さんは食べることが好きだった。「もうちょっとフワフワさせた方が喜ぶかな」。好みを思い返しながら作る。
そして、思う。
「私は今も、主人に恋をしている」
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JR西日本の南谷昌二郎顧問ら、居並ぶ幹部を前に語気が荒くなった。
「危険性を、トップが『知らなかった』では済まされないでしょう」
西宮市の繊維卸業山本武さん(60)は、脱線事故で妻淑子(よしこ)さん=当時(51)=を失った。今年一月、武さんら「賠償交渉の会」の遺族三十八人と、JR西の幹部が伊丹市内のホテルで向かい合った。
事故原因や経営者の責任を追及する遺族らに、幹部は「なぜ運転士が速度超過したのか分からない」「法令順守が第一と思っていた」と応じた。南谷顧問は、事故が起きたカーブの危険性を認識していたか問われ「知らなかった」と答えた。
「至らなかった」と頭を下げる南谷顧問に、武さんは納得できなかった。元社長で、事故当時は会長だった南谷顧問が、なぜ知らなかったのか。
西宮市北六甲台の自宅に戻ると、遺影の前に座る。一日の報告をするのが日課になった。JRとの交渉の報告を始めると「分かってるわ」と淑子さんが笑った気がした。
武さんは、遺族らでつくる「4・25ネットワーク」や賠償交渉の会で中心的な役割を担う。この半年間に神戸地検にも三度、足を運んだ。
「責任がうやむやのままでは、また同じ事故が起きる。それでは淑子が浮かばれない」
地検は刑事処分の判断をまだ示していない。
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乗客百六人の命が奪われた尼崎JR脱線事故。二十五日で丸四年になるのを前に、夫を亡くした妻と、妻を失った夫の「事故後」をたどる。
(中島摩子、安藤文暁)
2009/4/17