1両目がない-。そのことに気付いた衝撃が忘れられない。マンションの外壁に激突し、ひしゃげた車体は2両目。1階駐車場に突っ込んだ1両目は建物内にめりこみ、外から確認できないほどの惨事と知った。
大型連休の前。朝から青空が広がっていた。午前9時18分、通勤や通学の客を乗せた快速電車は、制限速度を大幅に超えてカーブに入り、脱線した。日常が絶ち切られた瞬間だった。
遺体安置所となった体育館で、何日間も家族の悲痛な対面が続いた。その傍らでJR西日本の社員はただ、頭を下げ続けた。
大破した1両目で救助された男性は「向かいの人たちが、木の葉のように前に飛んでいった」と語る。隣に座っていた花柄スカートの女性は助からなかった。
亡くなった乗客は106人。あまりにも大きな犠牲は、あらゆる交通機関の「安全」を問い直した。利益優先とされたJR西の企業体質も厳しく批判された。
事故から12年後、強制起訴されたJR西の歴代3社長は無罪が確定。一方で、遺族らは企業の刑事責任を問う「組織罰」の立法を求め、活動を重ねている。
1年半前、JR西は台車が破断寸前の新幹線を走らせ続けた。14回目の追悼の日が近づくが、安全を見届けるにはいまだ通過点と映る。(永田憲亮)
=おわり=