「人はこんなにも逃げられないものか…」
福島で放射能から子どもを守る活動を続ける父親の言葉が、今も胸に突き刺さっている。
土地を守り続ける農家、地縁、仕事…。「他県への移住は、地域の人を裏切ることになる」と悩む母親もいた。
東日本大震災から1年半。東京電力福島第1原発から50キロ以上離れた福島市や郡山市では、放射線管理区域(3カ月で1・3ミリシーベルト)の基準を超える地域が少なくない。放射能を心配しながら、さまざまな理由で福島にとどまる人がいる。
当初は家に閉じこもり、外で遊ぶことができなかった子どもたち。最近は「がんばろう!ふくしま」を合言葉に、放射能を過度に恐れることを自制する雰囲気が広がる。
逃げられないなら、一時避難を-。昨夏、そんな思いで仲間と始めたのが「明石であそぼう!たこ焼きキャンプ」だ。
呼び掛けに応じた28人の小学生が2週間、大学生のボランティアと野山を駆けた。川遊び、虫捕り、盆踊り。当たり前のことができる喜びを全身で味わい、涙を流して別れを惜しむ子もいた。
帰郷後、母親からこんなメールが届いた。「遠い明石の地に、応援し見守ってくれる人がいると知り、心強いです」「息子は大人になったら明石に住むと言っています。外で遊べるから」
ベラルーシではチェルノブイリ事故から26年たつ今も、国の事業として子どもたちを汚染地の外へ保養に出している。30~60日間の保養で体内のセシウムは半減するとのデータもある。
「僕たちの小さな取り組みは、科学的には意味がないかもしれない。でも、保養支援の輪が広がれば福島の子どもを救うことができる」
1月、関西の支援団体をネットワーク化する集会を開催。今夏、兵庫で保養キャンプを企画したグループは昨年の7から11団体に増えた。全国では約200団体に上る。
同会は今夏も34人の親子を招待した。リピーターが8割。今回は2009年の豪雨災害で被災した佐用町が4泊分の宿泊費を無料にして迎えてくれた。
別れ際、子どもたちの目に涙はなかった。運営費の不安はあるが、保養支援は長期的でなければ意味がない。覚悟を決め、継続を宣言した。
「また来年」。小さな手を振り、笑顔で福島に戻っていった。
「事故は、原発を認めてきた私たちの罪でもある。福島の人たちに苦しみを押し付け、知らぬ顔で過ごすような社会を残したくない」
来年の夏、どんな笑顔と会えるのか。準備はもう始まっている。
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東日本大震災から1年半。被災地を兵庫から支える人たちを追った。(木村信行)
略歴 おの・ひろし 福島の子どもたちを招きたい!明石プロジェクト代表。元中学教員。神戸でフリースクールのスタッフも経験。52歳。明石市在住。
2012/9/11









