兵庫人 第1部 経営者列伝
■市場の革命児、次々と
神戸・元町。高架下に入ると、三人の足取りが軽くなった。鬼塚喜八郎(88)、太田敏郎(79)、田崎俊作(78)。アシックス、ノーリツ、田崎真珠。一代で業界を代表する大企業に育て上げた創業者たちだ。
「懐かしい」。三人の目に映ったのは、庶民の熱気が渦巻いた戦後の闇市の残像だった。
「ブラック・マーケット」。焦土と化した神戸に生まれた闇市は三宮から元町、神戸へと続いた。物資不足の中にあって、ここは別世界だった。
太田と田崎は、広島・江田島にあった海軍兵学校出身だ。一九五四(昭和二十九)年、高架下の大衆酒場。海兵七十五期会をしていた太田の前に、面魂のある青年が緊張した面持ちで立った。
「七十七期の田崎であります。神戸で真珠をやっています」。あいさつに来た後輩に太田は言った。「風呂釜を売っている太田や。江田島精神で頑張ろうやないか」
一方、陸軍士官だった鬼塚も復員後、神戸に来た。雑踏の中で目にしたのが行き暮れた若者たちだった。「治安が悪く、麻薬も売り買いしている。日本の将来が危うい」。自分にできる仕事は何か? 行き着いたのが青年の心身を鍛えるスポーツの世界だった。
半世紀の歳月は街のたたずまいを変えた。しかし、三人の情熱はいささかも衰えず、今も第一線で活動する。九十歳間近とは思えない歩調で先を行く鬼塚。「僕も高架下で商売してたよ」。後ろの太田と田崎は口をそろえる。「鬼塚さんは、われわれの隊長だから」
鬼塚は鳥取、太田は姫路、田崎は長崎の出身。異郷から夢を抱いて神戸に来た若者たちに交じって働いた。田崎は言う。「みんな、よそ者。それでも、こんなに商売のしやすい街はなかった」
地縁血縁のしがらみがなく、新しく来た人たちのバイタリティーが街の性格を形成した。三月下旬に亡くなった作家の城山三郎は生前、話した。「最も原始的な形で資本主義が生まれた所。だからクリエーティブな人材を輩出できた」
戦前の大商社、鈴木商店が世界に雄飛し、戦後はダイエーが流通革命を巻き起こした。城山はダイエー創業者の中内功に、神戸という街のDNAを見た。戦後社会を駆け抜けた革命児の原点もまた、神戸の闇市だった。
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時代に挑み、閉塞状況(へいそくじょうきょう)を打ち破り、新しい価値観を生み出す‐。兵庫にはフロントランナーの伝統がある。シリーズ「兵庫人・挑む」。第一部では、兵庫を舞台に駆ける経済人の群像を描く。(敬称略)
2007/4/1