兵庫人 第2部 文人往来
■輝く宇宙時代描いて
太平洋戦争の真っ最中だった一九四四年。明石市内の映画館で、二人の少年がスクリーン上の夢物語に胸を躍らせていた。映画は国産アニメの歴史的名作「くもとちゅうりっぷ」。見ていたのは十五歳の手塚治虫(故人)と五歳の松本零士である。
「僕のデビュー作『蜜蜂(みつばち)の冒険』は、この映画に影響されて描いた。後に手塚さんに話すと、全く同じ時期、同じ明石で見たという。隣同士に座っていたかもしれないな」
現在六十九歳になる松本は、幼い日のちょっとした奇跡に思いをはせる。
幼少年期をそれぞれ明石、宝塚で過ごした松本と手塚。二人が漫画家同士として“再会”するのは、十八歳と二十八歳のことだ。松本の上京時には手塚宅に居候したり、執筆を手伝ったことも。まだ貧しさの残っていたころ。自らの下積み体験に基づく青春漫画「男おいどん」で“四畳半もの”なる新分野を開いた。
やがて高度成長を背景にテレビアニメの時代へ。先駆けは手塚の「鉄腕アトム」。人気をアトムと二分した「鉄人28号」の横山光輝(故人)も神戸出身だ。そして七〇年代には「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「宇宙海賊キャプテンハーロック」と、松本作品が旋風を巻き起こす。最先端メディアで輝ける未来世紀の夢を発信してきたのは、彼ら兵庫人たちだった。
松本は言う。「漫画家として大切なものすべては、明石や神戸で出合った」と。
北九州生まれだが、物心ついたのは明石城近くの家。子午線碑を見ては地球や宇宙を思い、南方へ出征した父の映写機で心ゆくまでアニメを見た。時折出掛けた神戸ではハイカラ文化を呼吸。小学一年で愛媛県へ疎開すると、入れ替わりに戦艦大和の副艦長一家が明石の家に越してきた。
「アニメ、宇宙、手塚さん、戦艦大和…。子供のころ強くあこがれたものに自然と近付いてきた。科学万能主義者だけれど運命を感じるね」
昨春、松本は宝塚造形芸術大の教授になった。夢の二十一世紀が到来した今。手塚が育った街の若きクリエーターたちへ、なおも果てなき夢を語り継ぐ。(敬称略)
2007/5/6