新兵庫人 第1部 タカラヅカ
兵庫県洲本市出身のヅカ・スター大地真央(53)は「異端児」で「新人類」だった‐。「男を女が演じる」独特の倒錯した世界観と、「軍隊並み」とささやかれるほど厳しい上下関係が連綿と生きる宝塚歌劇団。その女の園で、月組男役トップを張った大地の“武勇伝”は今も根強く残る。
タカラジェンヌを養成する宝塚音楽学校に入学したころの成績は四十九人中四十二番という自称「劣等生」。だが他を寄せつけないスターのオーラは、一九七三年の入団直後から内外に響いていた。新人時代、ラジオ番組にレギュラー出演し、テレビやCMにも相次いで進出。今でこそステージ「外」での活躍は珍しくないものの、トップとして絶大な人気を誇った鳳蘭(おおとり らん)(63)=神戸市出身=がCMに出ていた程度の当時にあっては、極めて異例だった。
群を抜く可憐(かれん)な容姿はフェアリー(妖精)、アイドルと称された。「タレント業に専念しては」と誘う芸能プロダクションもあった。時代は第一次「ベルばら」旋風前夜。濃いメークと時代錯誤的ですらある様式美に貫かれた宝塚には偏見も多かった。
だが大地は応じない。「外で仕事をすればするほど“夢と感動”に徹する宝塚の良さが輝き、『中から魅力を伝えたい』思いに駆られた」。ベルばらブームの立役者で、月組の前トップ榛名(はるな)由梨(63)をして「男役像に新風を吹き込んだ」と言わしめた大地の素地は、皮肉にも外に触れることで培われた。
子供のころ、黒タイツをかぶり「長髪」のホステスに扮(ふん)して「ごっこ遊び」に興じた。長じて宝塚の舞台に立つや、どんな端役でも全力投球する役者魂は、既に幼少期に芽生えていた。たとえ役が「男A」でも彼の人生に思いをはせ、キャラクターを作り込む。
七七年初演「風と共に去りぬ」の機関士役では毎回、カツラを替えた。ある日、はげのカツラで登場したところ、観客ばかりか共演者まで笑いが止まらなくなり、舞台が一時中断した“事件”は、今も語り草である。
「その日がたまたま、はげの人だっただけ。頭髪の薄い人はどこにでもいるでしょ」。なんで笑うの、と言わんばかりの言葉には、どこか超然としたすごみすら漂う。
衣装スタッフにも細かい注文を繰り返した。ついたあだ名が「五ミリの大地」。ミリ単位で寸法にこだわる姿勢が垣間見えるエピソードだ。
八五年の退団後も第一線で活躍。五日に東京で初日を迎えるミュージカル「マイ・フェア・レディ」のイライザ役は演じも演じたり、九日昼の公演で五百五十回を数える。
「舞台に立ちたい」一心で毎週末、片道三時間かけて船と電車を乗り継ぎ、宝塚まで声楽のレッスンに通った中学時代。大地は今も、その夢の中にいる。(敬称略)
2009/4/5