連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

新兵庫人 第2部 ミナトの誇り

(1-1)繁栄と苦難 港都復活へ旗振り役
  • 印刷
神戸港に寄港する客船のほとんどに乗ったという森田潔さん。船について語り出すと止まらない=神戸市中央区波止場町(撮影・斎藤雅志)
拡大

神戸港に寄港する客船のほとんどに乗ったという森田潔さん。船について語り出すと止まらない=神戸市中央区波止場町(撮影・斎藤雅志)

神戸港に寄港する客船のほとんどに乗ったという森田潔さん。船について語り出すと止まらない=神戸市中央区波止場町(撮影・斎藤雅志)

神戸港に寄港する客船のほとんどに乗ったという森田潔さん。船について語り出すと止まらない=神戸市中央区波止場町(撮影・斎藤雅志)

 「ブォーン」。港に太く、重い音が鳴り響く。国内最大級の豪華客船「飛鳥Ⅱ」の出港だ。消防音楽隊の軽やかなマーチとともに色とりどりの紙テープが飛び交い、子どもらの歓声が上がる。「ボン・ボヤージュ(よい旅を)!」。陽光に照らされ、巨大船が大海原へと旅立っていく。

 阪神・淡路大震災のあった一九九五年、十四隻にまで落ち込んだ神戸港への客船入港は、二〇〇七年に百隻の大台を回復した。神戸市挙げての誘致活動の成果だ。“港都復活”の原動力の一因となったのは、市の外郭団体・神戸港振興協会の振興部長森田潔(54)。企業からも認められる「神戸港の生き字引」。

 「最高級の神戸ビーフを四十キロ用意してくれ」。〇六年四月、森田に突然の依頼が寄せられた。相手は世界初の洋上マンション船「ザ・ワールド号」の“住民”。一部屋最高七億円という船室を買い取った大富豪たちだ。兵庫県食肉事業協同組合連合会に依頼すると、「神戸市内で供給する二週間分の量。むちゃだ」と、にべもなく断られた。

 しかし、森田は説得を続けた。「乗客にいい思い出を残してあげたい。必ず神戸のためになる」。数日後、大富豪らの元に神戸ビーフが届けられた。極上の味にさぞ感激したのだろう。さらに十キロの追加注文が入った。これまで同じ港に二度立ち寄ったことがないという同船が今秋、再び神戸を訪れる。

    ◆

 「港の何でも屋」の別名を持つ森田の仕事は、港湾全般にわたる。大量の荷物を運んでくる貨物船も誘致する。千以上ある神戸港の関連企業に足しげく通い、業界の課題や要望を聞いて回る。市民へのPRも欠かせない。約二十万人が集まる「みなとこうべ海上花火大会」、カッターレースや「みなとまつり」も毎年、森田が手掛ける。

 「ミナトの痛みも喜びも、既に私の一部なんです」と森田は言う。震災で傷ついた港湾を見たときは思わず涙が出た。崩れた倉庫街と倒壊したクレーン。海には輸出用の大量のコンテナと車が浮いていた。「積み上げてきたものが一瞬で壊された」。怒りにも似た感情で写真を撮り続けた。二年後にできた神戸港震災メモリアルパークには、森田が撮った写真が貴重な記録として展示されている。

 メリケンパークには、今日も大勢の人が訪れる。芝生の上に弁当を広げる家族連れ、ベンチで愛を語らうカップル、潮風を受けて軽やかにジョギングする中高年…。そんな風景を見ながら森田は思う。

 「ミナトは人やモノが集う場所。ゆっくりと波音に耳を澄ますだけでもいい。神戸にとって掛け替えのないミナトをみんなに愛してほしい」(敬称略)

2009/5/4
 

天気(10月11日)

  • 26℃
  • ---℃
  • 30%

  • 28℃
  • ---℃
  • 20%

  • 26℃
  • ---℃
  • 30%

  • 26℃
  • ---℃
  • 20%

お知らせ