新兵庫人 第8部 法と歩む
張りつめた空気が、会場を覆っていた。10月中旬、尼崎市のホテル。尼崎JR脱線事故遺族の代理人を務める弁護士佐藤健宗(たけむね)(51)は、遺族らに釈明する旧国土交通省航空・鉄道事故調査委員会の元部会長を見つめていた。
9月末、佐藤に1本の電話が入った。「皆さんに説明させてほしい」。元部会長本人だった。JR西日本の幹部らと会食し、事故調査で情報交換していたことが発覚。被害者はあきれ、憤っていた。
委員と被害者との対話は、事故から4年半近くを経て初めてだった。一方、佐藤は国交省から一連の不祥事を検証するチームへの参加も依頼され、了承した。
調査過程で、蚊帳の外に置かれてきた被害者。今回の問題は深く彼らを傷つけたが、佐藤は被害者が直接発言できる機会を確保した。「どんなことがあっても、被害者の立場を後退させてはならない」。被害者は、その信念と実行力に、厚い信頼を寄せる。
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佐藤にとって「被害者支援」と「事故調査」はライフワーク。きっかけは1991年、死者42人を出した信楽高原鉄道事故だった。
明石市出身の佐藤は、県立明石高校から京都大学法学部に進み、28歳で司法試験に合格した。弁護士3年目、修習生時代の同期が事故犠牲者の親類だったことから、事故の弁護団に加わった。
当時、鉄道事故には専門調査機関がなかった。旧運輸省の臨時組織がまとめた調査報告書はわずか12ページ。真相と呼ぶにはほど遠かった。専門家が皆無で、当事者であるJR西の協力なしでは調査も進められない。「家族は、最期をどう迎えたのか」「なぜ事故は起きたのか」。真実に迫るすべがない遺族。力になろうと奮い立った。
93年、信楽事故の遺族らで「鉄道安全推進会議」(TASK)を結成。佐藤は事務局長として、中立、公正な専門調査機関の設置を国に要望した。活動は実を結び、2001年、航空部門だけだった事故調委に鉄道部門が発足した。03年、当時のJR西社長が遺族らに初めて謝罪するまで12年。ともに歩んできた遺族の1人、TASK会長の吉崎俊三(76)は「苦しいとき常にそばにいてくれた。家族のような存在」と佐藤を評する。
事故調委は昨年、運輸安全委員会として改組。職員の大半は国交省からの出向組が占め、独立性と専門性への課題は残るが、人事権や予算編成権を持つ独立機関になった。
01年の明石歩道橋事故、05年の尼崎JR脱線事故…。佐藤は被害者が信頼できる事故調査を求め、闘ってきた。「被害者は『同志』であり『戦友』。彼らとの人間的なつながりが原動力」。前を見据える視線は、被害者とともにある。(敬称略)
2009/11/1