新兵庫人 第10部 発信視聴者へ
狂乱地価に社会が浮足立った1987年。11月18日午後、大阪・ホテルプラザの喫茶店で、朝日放送プロデューサー松本修(60)=宝塚市=は悶々(もんもん)としていた。
「若者向け人気番組を作れ」と副社長から厳命されたのは1カ月前。年明けの放送に向け、企画書の提出期限は迫っていた。吸い殻が増える中、若手ディレクターの「探偵」の一言に松本はひらめいた。「それやっ、できた!」。テーブルをたたいて叫んだ。
後にお化け番組と称される「探偵!ナイトスクープ」が生まれた瞬間だった。
◆
銀行や商社に進む京大の同級生を横目に「人を楽しませたい」と民放を選んだ。型破りな発想で頭角を現し、入社3年で恋愛バラエティー「ラブアタック!」を制作。東大生らが振られるエンディングがウケにウケた。
ナイトスクープでは、視聴者の依頼にタレント扮(ふん)する探偵が解決に乗り出す。素朴な疑問や珍妙な悩みに振り回される探偵の姿から笑いが生まれる。ときに涙や感動も。
「十人十色の依頼は時代を映す鏡。ナイトスクープという装置を使えば世の中のすべてを表現できる」
本質を突くコメントで人気の上岡龍太郎(67)を、司会進行役である「局長」に起用した。初回(88年3月)は85年の阪神タイガース優勝の際、道頓堀川に投げ込まれたカーネルサンダース像を捜索。聞き込みや魚群探知機の使用、潜水作業などで笑いを誘ったが、数字は振るわなかった。
番組を作るディレクターに全力でぶつかるのが松本流。ののしった直後「君はスピルバーグや!」とべた褒めする。「面白いとすぐに感動してしまう。怒鳴ったことは…覚えてない」。試行錯誤の1年9カ月を経て、目標の視聴率「常時2けた」を達成した。
アホとバカを使う境界線を追った「全国アホ・バカ分布図の完成」は91年度の放送業界の賞を総ナメにし、言語学者をうならせた。「おじいちゃんはルー大柴」(2003年)など〝感動もの〟も話題に。兵庫では「淡路のパラダイス」を取材。謎の施設は放送後、一躍名所になった。
「人間はいつも心に穴が空いている。僕は面白いテレビ番組でその穴を埋めたい。そして、喜びを分かち合いたい。だから、絶対に依頼者をバカにしない」
最高視聴率32・2%。朝日放送の入社試験では「ナイトスクープのような番組を作りたい」と話す学生が絶えない。笑って泣ける上質のエンターテインメント。全力で人を楽しませる松本の「アホの遺伝子」は、若い放送人たちに脈々と受け継がれている。(敬称略)
2010/1/10