新兵庫人 第11部 女たちの仕事場
「あの人」。藤浪芳子(63)はかつて従業員に、陰でそう呼ばれていた。
金属を加工するプレス機の部品などを扱う電子制御機器メーカー、昭和精機(神戸市)の社長に就いて30年。父が起こした町工場を下請けから脱却させ、バイオ分野にも進出した。従業員30人。海外へも単身で、飛び込み営業に渡る。
機械とは無縁の専業主婦だったが、34歳のある日、人生を一変する事件が起きた。工場を切り盛りしていた夫が、突然家を出て行ったのだ。
社は大混乱に。自身も8歳の娘と4歳の息子を抱え、ぼうぜんとした。従業員の生活も懸かっている。「後を継いで」と母から懇願され、腹をくくった。しかし‐。
機械の設計図を見ても理解できない。経理の知識はゼロ。ベテラン社員に機械の仕組みを教わり、本で猛勉強した。商工会議所の経営講座も片っ端から受けた。子どもの世話を母に任せ、帰宅は深夜。床に就いても設計図にうなされた。従業員が次々と辞めていき、何度も「今、死んだら楽になる」と思っては、われに返った。「社長を続けられたのは、家族と会社を捨てた夫への意地もある。でも何より、子どもたちを育て上げなくてはと思ったから」
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男女雇用機会均等法が施行された今も、「男社会」のイメージが強い製造業の現場。法律のない当時、藤浪は女性というだけで大きなハンディを負った。男性社員と大手メーカーを訪ねると、守衛室で「女連れで何の用だ」と止められた。悔しかったが、「体力以外は男に負けない」と言い聞かせた。
だが経営や技術の素人だった点は、プラスにもなった。
それまで受注は商社任せだったが、顧客の要望を直接聞いて回るうちに「実はこんな機械がほしい」とヒントを得た。相手のほしいものをとにかく作ろうと、「やります」と即答。社員と一緒に試行錯誤を重ねて、電子や油圧の制御機器を自社開発し、それが脱下請けを促した。
「資金に乏しい小さな会社だから『数撃ちゃ当たる』は無理。一発一中を目指した」。その後、工場を増設し、2004年には北京に営業所を開設。販売網はアジアや欧米など10カ国に広がった。気がつくと、従業員から「社長」と頼られていた。
4歳のころの息子の姿が、よく夢に出てきた。「寂しい思いをさせた。罪悪感があったのだと思う」。今、息子は33歳。家庭を築き、専務として国内外を飛び回る。頼もしい後継者。もう、藤浪が夢に見ることもなくなった。
中小の製造業がひしめく兵庫県。予期せず経営者になった女性は、藤浪だけではない。(敬称略)
2010/2/7