新兵庫人 第13部 心・技・体を磨く
柔道の創始者、嘉納治五郎(1860~1938年)は近代体育の父とも言われる。
摂津国御影村(現神戸市東灘区)に生まれ、官立開成学校(現東京大学)在学中に柔術を学び、さまざまな武道を取り入れて「柔道」を起こす。
柔よく剛を制す。相手の力を利用して投げる術理を、分かりやすい言葉で説明した柔道は人心をつかみ、1882年に講道館を設立すると、一気に国内外に広まった。
現在、国際柔道連盟(IJF)には約200の国と地域が加盟する。柔道を世界中に普及させた治五郎だが、孫の嘉納行光(77)は「柔道家である前に、まず教育者だった」と語る。
東京高等師範学校(現筑波大学)校長、大日本体育協会(現日本体育協会)初代会長、アジア初の国際オリンピック委員会(IOC)委員‐。
柔道を確立した男の後半生は、スポーツ教育の普及にささげられた。
日本が初参加した1912年のストックホルム・オリンピックに団長として参加。日本にスポーツの概念を伝え、戦前の東京オリンピック招致に貢献した。
世界をまたに掛けた活動を実らせたが、治五郎もまた時代の波にのみこまれていく。
戦争の激化で東京開催に暗雲が漂い始めた38年、カイロで開かれたIOC総会では治五郎に冷たい視線が向けられた。77歳の老体を押してアジア初の五輪開催の意義を訴えたが、帰りの船上で肺炎をこじらせ帰らぬ人となった。その2カ月後、東京開催は夢と消えた。
「私利私欲ない人だったそうです。祖父をよく知る人は皆そう言いました」
行光も昨年、決断を下した。29年間務めてきた講道館長と全日本柔道連盟会長職を辞し、後任を上村春樹(59)に任せた。上村は76年モントリオール五輪無差別級の金メダリスト。これまで嘉納家とその親族が務めてきた両職を、一族以外の人物に初めて託した。
柔道界も大きく変わり始めている。今年3月、全日本柔道連盟は講道館ルール主体の国内主要大会で、IJFの国際ルールを適用することを決めた。世界で普及している青色道着の使用も可能となる。
一方、かつて〝本家〟日本と対立したIJFも「効果」ポイントの廃止を決めるなど、治五郎が説き続けてきた「一本をとる柔道」の良さを評価する姿勢を強めている。
講道館名誉館長となった行光は「治五郎師範の理想とする柔道を追求することが講道館の使命」と話す。国際化の波にさらされる中で、追い求める道は変わらない。(敬称略)
2010/4/4