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新兵庫人 第18部 ミュージアムへ

(1-1)保存と公開 作品への「敬意」貫く
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大型顕微鏡の前に座る田中千秋さん。「作品より絵の状態が気になってしまうので、ほかの美術館には行けなくなった」と苦笑する=神戸市中央区脇浜海岸通1、兵庫県立美術館(撮影・神子素慎一)
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大型顕微鏡の前に座る田中千秋さん。「作品より絵の状態が気になってしまうので、ほかの美術館には行けなくなった」と苦笑する=神戸市中央区脇浜海岸通1、兵庫県立美術館(撮影・神子素慎一)

大型顕微鏡の前に座る田中千秋さん。「作品より絵の状態が気になってしまうので、ほかの美術館には行けなくなった」と苦笑する=神戸市中央区脇浜海岸通1、兵庫県立美術館(撮影・神子素慎一)

大型顕微鏡の前に座る田中千秋さん。「作品より絵の状態が気になってしまうので、ほかの美術館には行けなくなった」と苦笑する=神戸市中央区脇浜海岸通1、兵庫県立美術館(撮影・神子素慎一)

 汚れが目立つ戦前の油彩画。その下にある本来の色を思う。絵の具のひび割れ、カビやさびはないか‐。兵庫県立美術館(神戸市中央区)の田中千秋(53)は、ドイツ製の大型顕微鏡をのぞき込む。作品が歩んできた歴史を通して画家と向き合う。

 約8千点に上る収蔵品の守りの要を担う保存修復グループリーダー。作品の修復は、企画展や他館への貸し出しの前に行う。絵の具がはがれ落ちそうなひび割れに、膠(にかわ)を溶かした接着剤を筆で差し込む。絵の具が欠けた部分に色を入れたり、汚れを落としたり。与えられた時間、輸送距離、展示の環境などを考慮し、どこまでやるかを決める。展示室や収蔵庫の温度、湿度も管理する。

 修復の道に入り四半世紀。大学で西洋美術史を専攻し、東京の老舗額縁店に就職したが、後に都内の絵画修復工房に入った。作品そのものを大事にしたいという思いが大きくなったからだ。

 東京のブリヂストン美術館を経て2001年、県立美術館に。阪神・淡路大震災で亡くなった画家・津高和一の油彩画「母子像」(1951年)の修復も手掛けた。額の接合部は切れていたが、その細い額を津高は好んだと聞いた。「儚(はかな)さという美しさ。それも持ち味ではないか」。額は新調せず、裏板を付けて補強するにとどめた。作品への介入は極力、控え、オリジナルを守ることを信条とする。作品への敬意がにじむ。

 「修復の評価が定まるのは次の、またその次の世代になってから。その時に恥ずかしくない仕事を」。田中は労を惜しまず、過程を写真に残す。後世に起こり得る変化に備えるように、どの段階で何をしたか、詳細に記録する。

 修復専門スタッフを置く美術館は、日本では数少ない。県立美術館の場合、前身の県立近代美術館が震災で大きな被害を受けた経験から保存修復部門が創設された。だが正規職員は田中を含めわずか2人。開館した02年度から7年間で、簡易な処置も含め1200点以上を手掛けてきた。

 修復という仕事の喜びについて問うと、田中は少し考え、答えた。「この仕事は、人間の尊厳を守ることだと思っています」。画家はなぜ、この絵を描いたのか。その額を選んだのか。当時の心境や暮らし向き。一つの作品から、多くが見えてくる。そうしたものまでを守りたい。

 手を入れた作品が、何もなかったかのように展示室にある。前に立ち、再会する。抱く思いは「恋人に近いもんじゃないですかね」。田中の口元が小さく、ほころんだ。(敬称略)

2010/9/5
 

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