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新兵庫人 第19部 地場産業の明日

(1-1)舞台は世界 釣り人魅了 技術の粋
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送り出した製品は8000種を超す。「新たな手法を追求する釣り人さんあっての『鈎屋(はりや)』です」と話す中道成之さん=西脇市富田町、オーナーばり(撮影・佐々木彰尚)
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送り出した製品は8000種を超す。「新たな手法を追求する釣り人さんあっての『鈎屋(はりや)』です」と話す中道成之さん=西脇市富田町、オーナーばり(撮影・佐々木彰尚)

送り出した製品は8000種を超す。「新たな手法を追求する釣り人さんあっての『鈎屋(はりや)』です」と話す中道成之さん=西脇市富田町、オーナーばり(撮影・佐々木彰尚)

送り出した製品は8000種を超す。「新たな手法を追求する釣り人さんあっての『鈎屋(はりや)』です」と話す中道成之さん=西脇市富田町、オーナーばり(撮影・佐々木彰尚)

 釣る魚の口や動きを考えて描かれる独特の流線形。十数ミクロン単位で磨き上げられた鋼の鋭い先端は、狙った魚を確実に捕らえる。輝きを放つこの針先に、播磨の地で約200年も培われた技術の粋が宿る。

 「多彩な自然に応じて作られた日本の針は種類が多く品質がいい。世界のどこでも通用する」。釣り針専業メーカーで世界トップクラス、オーナーばり(兵庫県西脇市)の中道成(しげ)之社長(48)は胸を張る。

 播州の地場産業である釣り針作りは、江戸時代末期に始まったとされる。いち早く分業化、機械化に成功したことで大量生産を実現。今では国内生産量の約9割を占める。

 日本に「レジャー」の概念が広がった高度経済成長期、播州織の織物工場を営んでいた父弘蔵(76)=現会長=が「これからは釣りの時代だ」と、針の販売に転業した。やがて製造も始めたが、地元では内職などの人手が減少。1974年の会社設立後、韓国、次いで中国に加工拠点を設けた。現地でも「いい針だと喜ばれた」(弘蔵会長)ため、販売に力を入れたのが国際化の始まりだった。

 世界展開を本格化したのは、米国留学を終えた成之が入社して2年後の88年。米・ロサンゼルス付近に共同出資で会社を設立した。

 1ドル180円台から120円へ、急激な円高が進んでいたころ。日本製の価格はライバル欧州製の5倍となり、「進出は無謀」との見方もあった。「それなら、高級品で勝負しよう」。娯楽性の高いブラックバス釣り用の針を引っ提げ、新天地に切り込んだ。

 針先が円すい状の日本製は、円柱を斜めにカットした形の欧州製より「硬くて鋭い」と評判に。3年ほどで「オーナー」の名は米国市場に浸透。今では欧州のほか、ロシア、豪、中東など、50カ国以上に販売網を持つ。海外事業規模は20年で10倍に拡大した。

 前後して地元の各メーカーも世界市場に進出。オーナー、ガマカツ、ハヤブサ…。いずれも世界のトップブランドとなった。播州の釣り針は、高級レジャー用としては金額ベースで世界の半分以上を占めるとの試算もある。

 先端加工など品質の根幹を支えるのは、長年の製法を守る播州の職人だ。「あそこのおっちゃんでしかできない技術が、地元にある」と中道。

 米国進出から約20年、またも円高に苦しむ。さらに、アジアの廉価品メーカーが猛追する。だが、中道の自信は揺るがない。「日本は釣りの先進国。日本の釣り人のニーズに応えることで品質は高まる。今は釣れない世界のどんな魚も釣ってみせる」(敬称略)

(経済部・広岡磨璃)

2010/10/3
 

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