新兵庫人 第20部 岳人賛歌
標高4890メートル地点のキャンプから、双眼鏡で若い隊員2人のアタックを見守った。
6805メートルの頂上まで残り10メートル少し。1人は酸素不足による高度障害で意識がもうろうとなり、深い雪に阻まれ、体が前に進まない。下山に必要な時間を考えると、アタックにかける時間はもうほとんどなかった。
下山すべきとの意見もあった。しかし、隊長の井上達男(63)はトランシーバーで指示した。「あと30分頑張れ」
賭けだった。隊長の判断が重いことは言うまでもない。沈黙の長い時が過ぎた。再びトランシーバーを握り、「状況報告願います。そろそろタイムリミットです」と問いかけると、「雪庇(せっぴ)の上に出た」と返答があった。そこが未踏峰ロプチンの頂上だった。
2009年11月7日午後3時36分(日本時間午後4時36分)。6人の神戸大学登山隊は、中国・チベット自治区東南部にあるカンリガルポ山群の一つロプチンを制した。
井上は兵庫県香美町に生まれ、県立芦屋高、神戸大工学部に進学。山岳部ではリーダーを務めた。「高い山を制するナンバーワンより、オンリーワンを目指す」。人類の未知に挑戦する学術登山のパイオニアワークこそが、1915年発足の同部の精神だった。
OB会の山岳会でも活躍した。76年、28歳で参加した海外遠征では、カラコルム山脈の未踏峰シェルピカンリ(7380メートル)で頂を踏んだ。
「頂上では世界一への野心とか競争心が消えて、純粋な気持ちだけが残る」
見渡す限りの「誰も見たことがない景色」。美しさにハッとし、味わったことのない達成感に熱くなった。下山後、恩師に言われた。「次は後輩のために」
神戸大登山隊は03年、カンリガルポ山群の未踏峰ルオニイ(6882メートル)に挑んだが、悪天候に阻まれて途中断念。赴任先の米国でその結果を聞いていた井上は帰国後、山岳会会長を打診された。若い部員が減り、OBの高齢化も目立つ。ルオニイ敗北も影を落とし、山岳会は苦境に立っていた。
滋賀県で会社社長を務める井上は、辞退も考えたが「苦境にあえて挑戦し、乗り越えよう」と06年に就任。同山群への再挑戦を掲げ、3年間の準備を経て、中国地質大との合同登山隊を結成した。
ロプチン登頂は天候にも恵まれ、つかむことができた。「こうすれば成功」という道筋はない。チームワークで障害を越えていく。それが醍醐味(だいごみ)であり、また次に引き寄せられる。「地球上にはまだまだ未踏峰がある」。挑戦は続く。(敬称略)
2010/11/7