新兵庫人 第22部 城ありて
古里を離れ半世紀。出身を尋ねられると「日本で一番美しいお城がある街」と答える。
デザイナー高田賢三(71)は、姫路城にほど近い野里地区で育った。古い町家が続く町並みからは、芸事の三味線や長唄が時折聞こえてきた。
1945年の姫路空襲で小学校が焼け、大天守のそばに建てられた仮校舎に通った。城の中でよく遊んだが、傷みの目立った城は「暗いイメージがあった。長い廊下やお菊井戸は怖かった」。
戦争の傷痕が残る時代だったが、賢三は美しく、華やかな文化に囲まれて育った。
着物が好きな母のもとへ届けられる鮮やかな反物を飽きることなく眺めていた。四つ違いの姉の使いでたびたび書店を訪れた。戦後のファッションやインテリアを発信した「ひまわり」や「それいゆ」といった雑誌を手にすると、登場する大きな瞳の少女と出会うため、家まで待ちきれずページを開いた。宝塚歌劇の歌まねを披露して、家族を驚かせたのもこのころだ。
25歳でパリに渡り、立ち上げた「KENZO」ブランドは、花柄に代表される鮮やかな色調で、パリのモード界に革命を起こす。世界のファッション界を走り続けた賢三が、城と深く向き合う時が89年に訪れる。
市制100周年に大天守の前で催した自身初の野外ファッションショー。四季の作品435点、公募を含むモデル118人という国内最大級のショーを3夜連続で開いた。
こんな逸話がある。初日は雨にたたられ延期となった。翌日、一人思い立ち、大天守の最上階まで駆け上がった。そっと1枚の一万円札を置いた。賢三らしい奇抜な願掛けが効いたのか、その日から3日間天候が回復した。
フランス国旗を意識したドレスから始まり、最後は千姫をイメージした純白の花嫁を登場させ、ライトアップで天守群を漆黒の闇に浮かび上がらせた。終演後、観客が待つ舞台へ。安堵(あんど)とこみ上げてくる喜びにひたりながら大天守の方を振り返った。その時の幻想的な美しさは、大切な宝物として胸にしまってある。
服飾の第一線からは引退したが、モナコ、パリを拠点にインテリアデザインや絵画を手掛ける。今も美の世界に生き続けながら、年に1度は帰国する。「姫路城はどこから見てもきれい。バランスがいい。美しい城の町で生まれ育ち本当によかった」
年々、畏敬の念を深める。その城は平成の大修理に。大天守は素屋根(工事用建屋)にすっぽり覆われた。「しばらく見られないのはさみしいが、工事が終わった時はゆっくりと登りたい」(敬称略)
2011/1/9