新兵庫人 第25部 装い、コウベから
「できないな…」。停電した。電話も通じない。交通網もまひしたようだ。
3月11日午後2時46分。東京は震度5強だった。高田恵太郎(60)=芦屋市=は都内のホテルにいた。2011年春夏の神戸コレクション(神(こう)コレ)東京公演を翌日に控え、会場の大宴会場でスタッフ300人とリハーサル中だった。他に選択肢はない。4千人規模のイベントが吹き飛んだ。
02年秋冬から始まった神コレは11年春夏で18回を数える。04年に東京、07年から中国・上海にも進出。神戸会場には20代を中心に女性1万人以上が詰め掛ける。高田はその国内最大級のファッションショーを初回から取り仕切る。
大阪市出身。アイビーブランド「VAN」が一世を風靡(ふうび)したヴァンヂャケットで、創始者の故石津謙介の下、感性を磨いた。高田が最初にファッションに傾倒したのは、公立校に落ちて入学した「金持ちの商売人の息子が集まる」と言う私立の男子高だった。
「自分はスーパーの安もんしか知らなかったのに、ボタンダウンやピカピカの革靴がごろごろいた」。米国のファッションに身を包み、米国の音楽について話し、女の子と気負いなく遊ぶ級友たちがひたすらまぶしかった。
負けてたまるかと通い詰めたのが神戸・元町の高架下だ。通称「モトコー」は当時、播州織の高級ギンガムチェックをはじめ、米国などに輸出される衣料品の傷物が集まることで知られていた。「モトコーに流れて来た時点でブランドのタグは外されてるが、襟先の形や縫製の微妙な違いで見分ける。夢中で発掘した」。大阪から神戸へ。高田のセンスは神戸で培われた。
同じ神戸の甲南大学在学中から、あこがれのVANでアルバイトを始め、卒業後社員に。その後、知識と経験を買われ、1991年に六甲アイランドにできた複合施設「神戸ファッションマート」で企業誘致などを担当した。
だがバブル崩壊と阪神・淡路大震災が神戸の経済を直撃する。マートのテナントも撤退が相次ぎ、活気が消えた。神コレには「ファッションを通じて神戸を元気に」という切実な思いもある。06年には神コレに合わせ、企業や行政を巻き込んだイベント「神戸ファッションウィーク」も始めた。神コレという「点」から、街という「面」へ。地域の活性化に力を注ぎ続ける。
東日本大震災の被災地でも、またファッションが必要とされる日が来ると高田は信じる。女性が化粧や着飾ることを一時的にやめざるを得なかった神戸が、歳月を経て彩りを取り戻したように。
阪神・淡路後の歩みと、東日本のこれからが高田の中で重なり合う。希望とともに。(敬称略)
2011/6/5