世界×兵庫人 第2章 宮田久也
見渡す限り赤黒いトタン屋根が広がる。ごみにまみれた斜面を茶褐色の汚水が流れる。水で遊ぶ子どもたちにカメラを向けると、歓声を上げて駆け寄ってきた。
ケニアの首都ナイロビにあるアフリカ最大級のスラム、キベラ。ナイロビの全人口の3分の1にあたる約100万人が暮らしているといわれる。スラムに入るときは、自動小銃を手にした武装警察官を伴わなければならない。財布、腕時計、メガネは外した。強盗事件が多発しているためだ。
先頭を歩くNPO法人チャイルドドクター・ジャパン(チャイドク)の宮田久也(ひさなり)(36)が、道端で遊ぶ女の子に歩み寄った。
「体の調子はどう?」
「今は大丈夫。ありがとう」
ほほ笑んだ女の子の名前はファトマ・アブディ(11)。握手を求めると、恥ずかしそうに母親の後ろに隠れた。呼吸器疾患があり、雨期の4~5月になると発作を起こす。しかし生活が苦しく、病院に通うことはできない。
世界保健機関(WHO)によると、ケニアの5歳未満の死亡率は8・5%。日本の28倍だ。チャイドクは、そんな貧しい子どもたちに無償で医療を提供し、あるスラムでは乳幼児死亡率を約1%にまで改善させた。
その仕組みは練り上げられたものだ。日本の支援者が月千円を支払い、それをアフリカの子ども1人の医療に役立てる。子どもは支援者の名前が記された診察券を手に入れ、チャイドクの診療所で受診する。そして、子どもや母親が支援者にお礼の手紙を書く。
宮田は西脇市出身。ケニア事務所代表として、2002年から現地支援の先頭に立つ。互いに顔が見える仕組みを06年に立ち上げ、日本とケニアの距離を縮めた。
10年に300人だった支援者は3千人に増えた。
◇
「ありがとう。私はとても幸せです」。チャイルドドクター・ジャパン(チャイドク)の活動で薬を処方されたファトマ・アブディ(11)は、英語でそうつづり、日本に送った。支援者たちは手紙を受け取るうち、自分の子どものように感じ、約9割が1年以上支援を続けるという。
西脇市出身の宮田久也(ひさなり)(36)は、海外で経験したある出来事を機に国際支援を志した。立命館大法学部卒業後、ケニアでチャイドクの支援事業を立ち上げ、常識を覆すアイデアで日本の支援者を増やしてきた。事業規模の拡大に従って、脳性まひやエイズ、心臓疾患など、重い症状の患者を長期的に支えるプロジェクトも始まった。
表情豊かで明るいスラムの子どもたちだが、命にかかわる病気が見つかっても、手の施しようがなかった。「死を待っていた子どもを助けられるかもしれない」。宮田は活動に手応えを感じていた。
そんな中、大きな壁にぶつかった。ケニア政府によるスラムの強制撤去だ。
線路沿いにひしめくバラック。宮田とともにその間を抜けると、腐った野菜くずやビニール袋が積み重なる場所に出た。熱気とともに悪臭が立ち上る。堆積したごみを、ショベルカーがうなりを上げて崩していく。巨大スラム、キベラの真ん中に、ぽっかりと四角い更地ができていた。
「1月に強制撤去された場所です」と宮田は見つめた。
撤去は昨年、テロ対策や治安維持を理由に始められた。キベラではある朝、重機と武装警察官が突然やって来て、バラックをなぎ倒していったという。逃げまどう住民や家財道具を持ち出す略奪者が入り乱れ、大混乱になった。
撤去されたスラムは既に4カ所。生活補償はなく、住民は散り散りになった。チャイドクのスタッフは、支援する子どもの追跡を急いでいる。
近年の経済発展に伴い、改善に向かっていたスラムの治安は、逆に悪化しつつある。別のスラムを追われた住民がキベラなどに流入。支援に取り組む外国人が襲われる事件も急増している。
チャイドク専属カメラマンの池田啓介(35)は「スラムの雰囲気が昨年までと違う」。20年以上ケニアに住む日本人女性も強盗に遭い、「今は警護なしにスラムに入れば必ず襲われる」と警告する。
スラムを歩く宮田を、子どもたちが見つけて、集まってきた。「この子たちの笑顔に何度も救われました」。宮田は、笑顔を守る新たなアイデアを考え始めていた。
◇
連載「世界×(かける)兵庫人」の第2章では、アフリカ・ケニアで子どもたちの命を支える宮田久也に密着取材した。=敬称略=
(伊藤大介)
2012/6/13












