世界×兵庫人 第3章 遠山恵 広瀬未来 大江千里
深夜0時半。週末でもないのに、黒人や白人、ラテン系など50人ほどの若者が、グラス片手にステージを見つめる。
「You are next!(この次だからね)」
黒人の司会者にそう告げられた直後、彼女の頭は一瞬、真っ白になった。ここはアメリカ東海岸、ニューヨークはマンハッタン島にある地下のライブハウス。この夜のために練習してきたソウル歌手チャカ・カーンのヒット曲を、直前の出演者が歌い始めたのだ。
6月、2年間通ったブルックリンの音楽学校を卒業した。「あの日から今夜のステージを待ちわびてきたのに…」。何を歌えばいいのか。考えるうちに曲は進む。もう時間がない。出番が来た。
紫色のスポットライトの中央に立つ。大きく息を吸い込むと、ジャズの名曲「マイ・ファニー・バレンタイン」を歌い始めた。ソウルやR&B系のクラブには似合わないような重厚な曲だ。だが彼女は演奏の前、バンドのメンバーにひと言ささやいていた。「アップテンポのボサノバでね」と。
きょとんとしていた観客も、軽快なテンポに、だんだんのってくる。サックスのソロの後、彼女の持ち味である高音が響き渡る。客は総立ち。両手を上げ、興奮を抑えきれない黒人もいる。
この日一番の歓声だった。
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「Pure Voice(澄んだ歌声)」。19歳で単身、郷里の篠山市からニューヨークにやってきた彼女‐遠山恵(22)の歌声を、あるジャズ歌手はこう評した。4度のオーディションの末、夢だった黒人音楽の聖地「アポロ・シアター」への出場を果たし、日本で歌手デビューの誘いもある。
「自分が黒人音楽で成功するただ一人の日本人かもしれない」。夢はまだ、始まったばかりだ。
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▼大江 千里 51歳、なお「夢の途上」
奇妙な熱気に包まれた街‐と言えばいいだろうか。
ニューヨークでは毎晩、バーで、カフェで、ジャズライブが繰り広げられる。地下鉄の車内では、黒人の子どもたちが即興でラップを始める。街中を歩くと、メキシコ人のギターから哀愁の音色が聞こえてくる。
ジャンルも人種もごちゃ混ぜになった熱気が、体にまとわりつく。けれど、それは決して不快なものではない。体の中で眠っている好奇心をも呼び覚ましてくれる。
「格好悪いふられ方」「ありがとう」。関西学院大在学中の1983年にデビューし、80~90年代のヒットチャートをにぎわせたシンガー・ソングライター大江千里(51)。彼も、その奇妙な熱気に魅せられた一人だ。
5月18日、大江は4年半かけて、マンハッタンにあるジャズの音楽大学を卒業した。世界中から集まった70人の同級生の中で最年長、そして最も遅い卒業だった。
「『これから夢を追うぞ』ってまぶしいくらいの連中の中に、1人だけ『老眼で黒板の字も見えません』ってなやつが交じってた」
大江は苦笑しながら、ふた回り以上年の離れた同級生との学生生活を振り返る。10代のころから、ポップスを書きつつ胸にためていたジャズへのあこがれ。47歳のときのある経験が、彼をニューヨークへと向かわせた。
今月31日、全米でアルバムを出す。タイトルは「boys mature slow(少年はゆっくりと成長する)」。10曲すべてを自ら作曲し、バンドとともにジャズ・ピアノを奏でている。9月6日の52歳の誕生日には、日本盤も発売する予定だ。
「次の夢は全米ツアー。愛犬を連れて、アメリカ中でライブをしてみたい」。“boys”らしい笑顔を見せる。
▼広瀬 未来 「無の境地」で自分の音を
神戸市東灘区出身のトランペッター広瀬未来(みき)(28)がこの街に足を踏み入れたのは、遠山恵と同じ19歳のときだ。甲南中学でジャズと出会った。ボストンの名門バークリー音楽大の奨学生の権利を蹴り、混沌(こんとん)の中に飛び込んだ。
いま、10を超えるバンドで活躍し、「即興音楽」と向き合う。ジャズでは主題の後、それぞれのパートがソロを奏でる。どんなメロディーを吹くか、事前に考えず、その場に浮かんだイメージを音に変えていく。
「ジャズってね、お笑いみたいなもんやと思う。一つの楽器が何か言って、『それ面白いやん』ってみんなで突っ込む。その間の取り方一つで面白いか、つまらんか、決まる」。ニューヨークでは“ボケ方”も“突っ込み方”も多様で、そこが面白い。
「いつか、無の境地で吹けるようになりたい。一生かかるかもしれない。そのために吸収しなければならないことは、まだまだある」
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連載「世界×(かける)兵庫人」の第3章は、ニューヨークで音楽と向き合い、夢の途上にいる3人にスポットを当てる。=敬称略=
(上田勇紀)
2012/7/17













