兵庫と歩みて 井戸前知事の20年
5期20年にわたり、知事として兵庫県政をけん引した井戸敏三氏。阪神・淡路大震災からの創造的復興に尽力し、膨大な負債を抱えた県財政の再建へ行財政構造改革を断行した。度重なる自然災害や新型コロナウイルスの感染拡大など降りかかる危機への対応を迫られた時代でもあった。県民の安全安心の確保に努め、自治や分権を問い続けた20年間を語ってもらう。(聞き手 論説副委員長・長沼隆之)
■復興、コロナ…「県民第一」胸に
20年間をどんな時代だったか、一言でくくるのは難しいですね。その時、その任期の課題に対応し、解決にあたる毎日。同じような経験はほとんどなかった。
まず、阪神・淡路大震災からの創造的復興は何としても成し遂げねばならなかった。復興計画の途中で貝原(俊民)元知事からバトンを受けましたから。兵庫国体で皆さんの支援に心からの感謝を申し上げ、震災の教訓を踏まえた防災、減災社会をどうつくりあげていくか。県政ビジョンの実現とともに大きな課題でした。
行財政改革も待ったなしでした。財政再建はやらなければならないが、県民からすれば、県政に求めるもの、進めてほしい施策がある。いわば二正面作戦が強いられるわけです。
復旧・復興にかかる費用のうち1兆3千億円は県債(借金)で賄わざるを得なかった。私の20年間では1兆円ぐらいしか返すことができなかった。残りは後の人たちに委ねざるを得ないわけですが、県民には夢や希望を持っていただきながら、行革との両立を図る。これが基本姿勢でした。
やり残したこと? 県庁舎の建て替えかな。これは来るべき南海トラフ地震対策の一環として、県のヘッドクオーター(司令部)が機能できるかどうかという話でね。
アリーナの建設や五つ星ホテルの誘致とか、将来の兵庫発展の布石になる機能を手掛けられる状況がようやく生まれつつあったんだけど、任期(満了)が来ちゃった。
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退任は5期目が始まるときには決めてました。出処進退は人に相談する話じゃない。後継になかなか適切な人物が出てこなかったのは課題だったかもしれません。ただ、五国の調和とかバランスのある発展、伝統や文化芸術、科学技術の尊重などの兵庫らしさを守り、大切にする県政を継承してもらえるのなら、必ずしも(意中の)後継である必要はない。やり方は私と違っていいんでね。
多選の弊害とか言われましたが、全く問題にしていませんでしたね。4年に1度、選挙の洗礼を受けている。要は私を変えたいから、変わってほしいから批判するのであって、当選回数の問題じゃないでしょ。
年齢の問題は意識しました。あと4年やるとなれば80歳になる。バイデンさんみたいに78歳で大統領になった人もおられるけど。体力に自信はあるが、県政に対する情熱を持続できるかどうか。それと頑固になって、自分の主張を通そうとしがちになります。
もう一つは県庁組織の硬直化です。皆が知事の顔を見ているというか、新しい提案が出にくくなった。活性化には私が代わる必要があるなと。コロナ禍が進退に影響したというのはないですね。これは皆で対策を進めていかねばならない話ですから。
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退任後、真っ先に考えたのが1週間の生活の枠組みをつくることでした。「小人閑居して不善をなす」になっちゃいけない。特別顧問を務めるひょうご震災記念21世紀研究機構や、顧問・相談役としてご縁のある大阪の会社などへ週4日は出るようにしています。
3年半ぐらい前に妻が体調を崩し、一時入院したんです。東京に置いておけないんで、神戸で一緒に暮らすようになりました。東京にいる孫娘にもなかなか会えないけど、次の正月は楽しみにしています(笑)。
県庁の職員には「訪ねて来るな」と言っています。もう辞めたんだから。県政にくちばしを挟む立場じゃない。私の信条としても、助言も指図もしません。斎藤(元彦)知事とよく相談して進めてほしい。私も貝原さんには相談しなかったからね。
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【井戸 敏三氏(いど・としぞう)】1945年、兵庫県新宮町(現たつの市)生まれ。68年に東大法学部を卒業し、旧自治省(現総務省)入省。同省大臣官房審議官から、96年に兵庫県副知事に就任。貝原俊民元知事の任期途中の辞職に伴う2001年の知事選で初当選。5期20年務め、今年7月末で退任した。関西広域連合長なども歴任した。現在は、ひょうご震災記念21世紀研究機構特別顧問などを務める。76歳。
2021/11/23









