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兵庫県内在住の中国残留邦人数(県まとめ、2015年3月末時点) 中国で優秀な教師に贈られたメダルを前に半生を語る松倉秀子さん=尼崎市内
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兵庫県内在住の中国残留邦人数(県まとめ、2015年3月末時点)

中国で優秀な教師に贈られたメダルを前に半生を語る松倉秀子さん=尼崎市内

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 思わず涙がこみ上げ、声がうわずった。

 2007年8月。尼崎市内の保育園で行われた朗読劇「わたしたち なにじんですか」。出演した中国残留孤児の松倉秀子(72)=同市=は、過酷な半生を語りながら、聞き入る園児の姿に、幼い頃の自分を重ねた。

 2歳で中国に取り残された。養父母に育てられ、45歳で帰国。しかし、差別を受け、苦しい生活を強いられた。「日本人なのに、どうしてほかの日本人と同じ生活ができないのですか。私たちのせいですか」

 生活支援をめぐり各地で集団訴訟を起こした孤児側が、与党の示した新支援策を受け入れた直後だった。孤児問題への関心が薄れることを恐れていた。

 朗読劇での出演者の最後の言葉は今も鮮明に覚えている。

 「戦争がどういうものか、国がどんなことをしたのか、それを分かってもらえるまで、おばあちゃんたちの戦いは終わらない」

     ■  ■

 いつ、どこで生まれたのか分からない。終戦の年、中国東北部のハルビンで中国人の夫婦に預けられた。後に、たどたどしい中国語を話す女性が60元で託し、数日後に亡くなった、と聞いた。

 養父母は優しかった。貧しかったが、食べ物には困らなかった。小学生のとき、周囲が陰で「日本人」と話すのを聞き、素性を知った。26歳で中国人と結婚。中学校で数学を教え、優秀な教師にも選ばれた。

 「自分は何者なのか」。養母の死を機に訪日調査に参加。肉親は見つからなかった。1989年、夫と子ども2人を連れて永住帰国した。終戦から40年以上がたっていた。

     ■  ■

 「平和な経済大国」。夢見た母国だったが、現実は違った。

 日本語を4カ月学んだ後、伊丹市に移り住み、ようやく清掃員の仕事に就いた。「中国人」と呼ばれ、言葉が通じず、「アホ」「ばか」とののしられた。「どうして帰ってきたのか」。何度も悔し涙を流した。

 2004年、県内の孤児らが国に損害賠償を求めた裁判の原告団に加わった。神戸地裁では勝訴。新支援策を受けて控訴審を取り下げた。「勝訴で胸を張って生活できるようになった。強くなれた」と感じる。

 今は、改正支援法で定められた年金と給付金で暮らす。尼崎など3市の日本語教室に通い、夜間中学校でも学ぶ。日本語漬けの毎日だが「死ぬまで続けたい」。日本人であることを確認するために。

(敬称略)

     □  □

 「祖国」と聞いて、あなたは何を思いますか。連日のように安全保障関連法案の審議が取りざたされ、国や平和を考える機会が増えている。戦後70年。4部にわたって「祖国」について考えたい。第1部は二つの祖国で揺れ、今も「戦渦」の中にいる中国残留邦人の歩みをたどる。(井関 徹)

 〈メモ〉県内在住の中国残留邦人(孤児・婦人)は計136人。うち半数の68人が阪神地域6市で暮らす。身元が判明していない孤児らが永住帰国する際に必要な身元引受人がいたことなどが、集まった要因ともされる。

2015/8/19
 

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