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問い直す 復興15年 第3部 住まう

(1)大規模公園 防災の旗 町は消えた 立ち退いた「2丁目」住民
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昨春、完成した「水笠通公園」。敷地1ヘクタールは300人以上が暮らしたという水笠通2丁目の街区だった=神戸市長田区(撮影・藤家 武)
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昨春、完成した「水笠通公園」。敷地1ヘクタールは300人以上が暮らしたという水笠通2丁目の街区だった=神戸市長田区(撮影・藤家 武)

昨春、完成した「水笠通公園」。敷地1ヘクタールは300人以上が暮らしたという水笠通2丁目の街区だった=神戸市長田区(撮影・藤家 武)

昨春、完成した「水笠通公園」。敷地1ヘクタールは300人以上が暮らしたという水笠通2丁目の街区だった=神戸市長田区(撮影・藤家 武)

 阪神・淡路大震災は17日、発生から丸15年となる。18地区で施行された行政主導の復興土地区画整理事業は、17地区で終了。残る新長田駅北地区(神戸市長田区)も2010年度の完了見込みだ。街に、震災の痕跡はほとんどない。だが、なお生活再建に懸命な住民の姿がある。まちづくりとは。住まいと暮らしの復興とは。15年の歩みをたどり、今を見る。

    ◆

 消えた町がある。

 神戸市長田区水笠通2丁目は昨春、新長田駅北地区(59・6ヘクタール)の復興土地区画整理に伴い、丸ごと1ヘクタールが「水笠通公園」に生まれ変わった。

 かつては、狭い路地に、商店や長屋などがひしめき合い、300人以上が暮らしたという。地震で壊滅的な被害を受け、10人以上が亡くなった。

 その2カ月後、2丁目を含む同地区の区画整理が都市計画決定された。震災で大きな被害を受けたのは、古い住宅が並ぶ密集市街地が多く、市は道路や公園整備の必要性を強く説いた。

 2丁目すべてが防災公園になる計画。被災した上、住み慣れた土地まで奪われるのか-。反発、理解、あきらめ…。さまざまな思いが交錯したが、14年の歳月が流れ、全員が2丁目を去った。

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 その中に「4重ローン」を抱えた人がいた。1丁目で電器店を営む小山象平さん(64)。昨年、三つ目の支払いをようやく終えた。

 「あと一つ、あと3年やね。おかげさんで仕事は忙しいから」。家族5人が暮らした2丁目の住宅兼店舗は全壊。しばらくコンテナで暮らした。マンションも借りた。商売のため、立ち退きも覚悟で、一度は元の場所に自宅を再建した。

 住民で立ち上げた「水二まちづくり協議会」。公園化の案に声をあげて反対したら、会長に推された。立ち退けば、もうこの地域に住めないのではないか。公園は縮小できないのか。「残りたい一心。みんなでいろいろ策を考えたけど…」。小山さんも8年前、換地先の1丁目に移り、再び家を建てた。

 震災前、買い足した2丁目の土地。換地され、今は公園になったが、その返済が最後のローンになる。

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 その公園の管理会会長を務める猪坂和正さん(70)は毎朝、マンションのベランダから公園を眺めるのが日課だ。「異変ないな」

 2丁目に、家族7人で住む家があった。長屋から切り離し、思い切って建て替えたのは地震の4年前。激しい揺れにも耐えた。修理すれば、ずっと住めた。

 仕事が忙しく、反対する間もなかった。住民共同で3丁目に建てたマンションに移り、ベランダから解体されるわが家を見た。「小さい家やけど、一生一度の大仕事。それを…」。泣きそうになった。

 「そのオレが…」。3年前、住民の推薦で公園管理会会長に。嫌々始めたが、そのうちゴミ拾いや植栽の手入れに足が向くようになった。「複雑や」。経営していた会社は不況もあって、2年前にたたんだ。

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 神戸新聞社とひょうご震災記念21世紀研究機構が行ったアンケート。9人の元「2丁目住民」が回答を寄せた。事業を「満足」とした人はいなかった。それでも評価する点として「公園や道路ができ、災害に強い町になった」に6人が「○」を付けた。

 立ち退いた住民それぞれに、苦しい決断があった。やむを得ず長田を離れた人もいる。昨春、水笠通公園の端に建った「2丁目の碑」。碑文にはこうある。

 ここに、万感をこめて、三百数十人がともに暮らした、ありしの日のわが町の姿を刻み、後世に伝えます-。

 町は、心に生きる。(岸本達也)

2010/1/12

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