企画・連載

(5)仮設住宅

2010/01/16 15:33

 新潟県中越沖地震(2007年)に見舞われた柏崎市の星野健二さん(80)は、1人住まいの自宅が全壊した。「何とか元の場所に戻りたい」。願いはかない、今、跡地に立つ2Kの建物=写真=で生活する。

 建物は実は、09年夏まで星野さんが一時暮らしていたのと同タイプの仮設住宅だ。通常のプレハブとは違い、壁には木製パネルが使われ高機密・高断熱。冬でも暖かく、広さも約30平方メートルと、1人暮らしには申し分なかった。

 すっかり気に入った星野さんの要望を受け、仮設を建てた地元の工務店「ウエキハウス」が恒久住宅に転用した。仮設は県へのリース物件だったため、返還された建物を再利用できた。

 基礎工事も含め費用は450万円。貯金や支援金で支払えた。一時は福祉施設への入居も勧められた星野さんだったが、今も地震前と同じように自宅に亡き両親の写真を飾り、毎日お経を唱える。

 最近の災害では、仮設を地域に分散して設けたり、集落単位で入居したりと、工夫が凝らされるようになった。「地元にとどまりたい」との被災者の要望や、コミュニティー維持に配慮した取り組みだ。これらは阪神・淡路大震災の教訓を踏まえた改善策だった。

    ◆

 大震災で建設された仮設は4万8300戸。多くは郊外に建ち、住まいを失った上、地域を離れた被災者は少なくなかった。

 そのような状況下、神戸市兵庫区の本町公園には2000年4月まで、行政が建てた「応急仮設住宅」ではない仮設があった。

 「ここに残りたい。その一心」。運営委員長だった河村宗治郎さん(73)は振り返る。地震直後、公園には400人もの住民が避難していた。自衛隊がテントを設営したが「長くは暮らせない」と感じた河村さんは、早急に仮設を建てる必要があると考えた。

 公共空間への建設は法的な問題もあった。だが、テント暮らしの住民の中にはすぐ近くの神戸中央卸売市場にパートで勤める人も多かった。「この土地に一人一人の暮らしが根付いている」と、公園での仮設にこだわった。

 45戸が大震災の5カ月後、日本基督教団からのカンパで完成した。それから約5年。住民は近くの復興住宅に移り住むなど、大半が望み通り、住み慣れた町での再出発を果たした。

    ◆

 大震災では、被災者が自力で建てた仮設住宅も約5000棟あったとされる。しかし、公的支援はなく、それは今も変わらない。

 岡本忠男さん(67)=神戸市長田区=も、自力で仮設を建設した1人だ。借地を地震後、地主から買い取ってプレハブを建て、自宅の本格再建までの7年間を過ごした。

 土地区画整理の対象地区だったため、プレハブの建設費は移転補償で賄えた。しかし、周辺には借地・借家人も多く、長田を去った顔なじみもいる。「借地でも、地主さんの自力仮設を支援するような仕組みがあれば、もっと状況は違ったのに…」と岡本さん。

 次の大地震も予測されている。それまでには、大震災が残した課題に答えを出さなければならない。(田中陽一)

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