JR鷹取駅の南側、神戸市長田区長楽町。元小学校教諭で画家の池内悦子さん(74)は、阪神・淡路大震災で2階建ての自宅が全壊し、大けがを負った母岩井きよ子さん=享年(80)=を約3年後に亡くした。
震災当時、夫が単身赴任中で、母と中学1年の長男の3人で暮らしていた。
地震の前日、長男が苦戦する数学の問題をみんなで解いた。「なんでこんなん分からへんのよ」と笑い合った。翌朝、1階の和室で眠っていたきよ子さんはたんすの下敷きになった。
長男と夢中で家の外に逃れると、家が隣の家にもたれかかるみたいにつぶれていた。母の姿がないことに気付き、「助けてください! 母がまだ中にいるの」と叫んで。なんとか助け出してもらったけど、「痛い、痛い」とうめき声を上げていた。
腰の骨を折ったきよ子さんを西脇市の病院に入院させ、悦子さんと長男は鷹取中の体育館へ避難。2日後、自宅の近くに戻った時、目にしたのは一面の焼け野原だった。
被害が少なかった神戸市北区の元同僚の家に避難させてもらいました。そこでようやくニュース番組を見て、何があったか分かってきて。少しの揺れにもびくんとするし、寝苦しいし。
翌1996年5月、同じ場所に家を再建し、退院していたきよ子さんと再び暮らし始めた。しかし、きよ子さんの体力は想像以上に落ちていた。ヘルパーの手を借り、介護を続けてきたが、97年末に息を引き取った。関連死とは認定されていないが、あの日を境に、元気だった母は一変した。
誰にも優しい母でした。須磨浦公園の桜が大好きで、亡くなった年も車いすを押して一緒に見に行った。春になると、その時の桜と母の笑顔を思い出すんです。震災がなければもっと長生きできたのに。
母を失い、しばらく何も手に付かなかった。思い出したのが、絵を描くこと。かつて絵本作家を目指していたが、絵の道具は自宅のがれきとともに捨てていた。手元にあったのが墨と和紙だった。
「今すぐ描きたい」という気持ちがあふれ、描き始めたんです。震災前は色鮮やかな絵を描いていたけど、母を思うと、色を使う気分にはなれなかった。白い和紙に墨。モノクロの世界がしっくりきて。
これまでの空白を取り戻すかのように、絵に入り込んだ。コンクールにも応募するようになった。
私の表現にたどり着いたんだなと。震災の経験はつらいけれど、自分の一部になったように感じる。
作品は評価され、今年2~3月には、東京・上野の森美術館ギャラリーで初めて個展を開く。
展覧会のリーフレットに今の思いをこう書きました。「1・17で始まり いまわたしは 旅のただ中」
(伊田雄馬)
=おわり=
2020/1/14