生田神社の西側の雑居ビルの3階にあった父のバーには、近所の、今でいう反社会的な一見(いちげん)の客も入ってくることがあった。私が大学生の頃、3人で飲むだけ飲んで「つけとけ」と出て行こうとするのを止めようとして、店にあったゴルフのパターで脳天を割られて血塗(ちまみ)れになった父を、免許取りたての運転で迎えに行って入院させたこともある。
黄色いTシャツが真っ赤に染まっていたのを鮮烈に覚えている。病室では「面会謝絶」だったのに、翌日看護師から「お父さんがいません!」と電話があった。「さては」と、こっそり店の表の廊下に立ってみると、中から掃除機をかける音が聴こえて来て、さすがに呆(あき)れたものだった。
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