尼崎JR脱線事故で教え子4人を亡くした北摂三田高校(兵庫県三田市)の古川次男さん(64)が、教諭として最後の4月25日を迎える。毎年、この時期には在校生に思いを話してきたが、来年3月で再任用の任期を終える。事故から16年。今年の新入生は、事故後に生まれた生徒がほとんどになった。古川さんは「先輩の無念を知り、命の大切さを思う心を受け継いでほしい」と願う。(土井秀人)
新聞に載った満面の笑顔が、今も心に焼き付いている。2005年4月29日の神戸新聞。犠牲となった平郡(へぐり)恭介さん=当時(19)=の写真があった。明るくて活発、人望も厚い。表情に人柄がにじんでいた。
英語教諭として01年に赴任した古川さん。卒業生には、JRを利用する教え子が多くいた。犠牲者として名前が載らないよう、毎日祈るように新聞をめくった。だが、平郡さんのほか、小前宏一さん=当時(19)、福田佳奈さん=同、宮崎美佳さん=同=の名前があった。
「教え子を先に亡くす。これほど悔しいことはない」。高校を卒業し、それぞれの目標に向かって人生を歩み始めたばかりだった。将来の夢も希望も、予期せぬ事故に奪われた。
事故後、毎年4月25日の前後には、在校生に思いを語ってきた。
「オールウェイズ・ザ・ベスト・パフォーマンス」
生きている一瞬一瞬を大切にし、いつも最善を尽くしてほしい。ことあるごとに伝えてきた。定年後も教壇に立ち続けたのは、教え子の無念を、生きた証しを伝えたいからだ。
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校舎の玄関へ続く道の脇には、「いのちの絆」と刻まれた白い石碑がある。高さ75センチほどで、風雨にさらされ少し黒ずんでいる。
「なぜ石碑があるのか。生徒だけでなく、先生でもほとんど知らなくなった」。古川さんがつぶやいた。
石碑の建立は2007年2月。同校では卒業生5人と生徒の保護者らが犠牲になった。事故や命の大切さを忘れまいと、当時の卒業生が寄贈したという。「語る人がいなくなっても、形として残したい」。学年主任を務めていた古川さんは、そんな思いも込めた。
事故から16年となり、当時からいる常勤の職員は古川さんだけになった。同校では毎年、4月25日に合わせて生徒らが黙とうをささげている。古川さん自身も事故について語ってきたが、思い返せば石碑のことはあまり話してこなかった。
「同じ高校で学んだ先輩が犠牲になった。事故を知らない世代でも、より実感として伝わるはず」
改めて石碑のことを知ってもらいたいと思うようになった。古川さんは学校を去るまでに、きれいに磨き上げるつもりだ。
