がらりと扉を開けると、つややかでいて力強さのある陶器の数々。兵庫県三田市下井沢にあるギャラリー伽檪里(がらり)には、地元の土を使った「有馬富士焼」が並んでいる。手掛けるのはこの“城”のあるじ、定金忠孝さん(82)。趣味で土と戯れ、そのアイデアに底はない。(喜田美咲)
にやりと笑って話す。「無責任なことができるから面白いよね」
深い緑や茶の色合いが上品な湯飲みや、ツバキの絵付けが施された皿。とんど焼で出た灰をかけて焼いた、ざらつきのあるつぼ。重厚な食器や花器が並ぶ一方で、猫の絵に柔らかい筆遣いで「笑う門には福来たる」と描かれた器もある。
印刷会社に勤めていた約30年前、陶芸家の友人の窯を借りて、焼き物を始めた。当時は箸置きなどの小物を作る程度だったが、自宅にガス窯を持つようになり、徐々にのめり込んでいった。
転機が訪れたのは1996年。有馬富士公園(福島)を整備するために削られた土に目が行き、車を止めた。多くの焼き物の産地がそうであるように、できるなら地元の土で作りたいという夢はあった。層になった赤と白の粘土の感触を確かめて、思いが強まった。
許可を得て持ち帰った土は、2トントラック2台分にもなった。有馬富士の土は粗い砂混じりで、これだけでは硬くなってしまう。滋賀県・信楽の土と6対4の割合で混ぜるなど、試行錯誤を繰り返し、ちょうどいい軟らかさにたどり着いた。
作る時は相手の顔を思い浮かべたり、用途を想像したりとイメージから始める。手動で回す「手ろくろ」を使うことで、ゆがみや指使いで生まれたくぼみなどの味が出る。へらが当たってできた平らな面が湯飲みを持ちやすくした。蚊帳を押し当てて焼いた皿は、網目模様が色合いを際立たせた。偶然の産物や自由な発想が随所に光る。
98年に初個展を開き、その翌年には自宅前に伽檪里をオープンした。2010年ごろからは作品を半額で販売し、売り上げの一部を市社会福祉協議会に寄付するチャリティー展示即売会も始めた。11年の東日本大震災の後は約35万円を被災地へ送った。
ここ数年は、自らも高齢になり、展示会などへの出品は控えるようになったが、創作意欲は衰えを知らない。ギャラリーには置き場がなくなり、窯には多くの器が焼きを待っている。
次々生まれる作品を見ながら、「器に興味を持ち、愛してくれる人の手に渡ると幸せ」と定金さん。新型コロナウイルスの影響で当面の間はギャラリーを閉じるが、生かせる方法を思案している。
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