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外観はそのままに「廃墟カフェ」として生まれ変わった=三田市四ツ辻
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外観はそのままに「廃墟カフェ」として生まれ変わった=三田市四ツ辻
1957(昭和32)年ごろの診療所(三田市提供)
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1957(昭和32)年ごろの診療所(三田市提供)

 6月15日付の神戸新聞三田版で「廃墟(はいきょ)カフェ」を紹介した後、兵庫県三田市史編さんに携わった市地域創生部参事の印藤昭一さんから電話があった。「あの建物は元々、村立の診療所。無医村に危機感を持った人たちが建てた、汗の結晶なんです」

 記事では「1951年に建てられ、『大久保医院』として開業した」と紹介。カフェのオーナー安田和也さんは、建物の所有者からそう聞いたという。

 印藤さんは市史を編さんする中で診療所の存在を知っており、事実関係が少し違うようだ。

 無医村だった有馬郡本庄村(現在の兵庫県三田市本庄地区)に診療所が建てられたのは、終戦から6年後のこと。日本が敗戦から立ち上がり、復興に向かっていた時期だ。51年12月25日の神戸新聞摂丹版には「本庄村の診療所店開き」の見出しで、「開所式を盛大に挙行した」との記事がある。「自分たちの村は、自分たちでつくる。診療所建設は敗戦後、新しい時代の地方自治を求めた住民の心意気もあったのでしょう」。印藤さんが思いをはせた。

 その後の本庄村は「昭和の大合併」に翻弄(ほんろう)される。56(昭和31)年に相野町となるが、翌57年には三田町に編入。さらに1年後の58年には、市制が施行され三田市となった。診療所も村立、町立、市立と変遷していく。

 診療所が公立としての役目を終えたのは、67年のこと。54年から所長を務めていた大久保医師に施設を貸与し、民間医院となったようだ。このことは、当時の市広報誌にも載っている。

    ◇

 「当時は珍しくない建物だからこそ、残っていることが珍しい」。印藤さんが、建物を活用する意義について教えてくれた。昭和20~30年代に建てられた公的な建物は、市内にほとんど残っていないという。「有名な建築家がつくったわけでもなく、歴史があるからと言って無責任に残せとは言えない。時代と共に人知れず姿を消してきた。今も残るこの建物は、地域の文化遺産なんです」

 …実は。安田さんを取材した際に「無医村だった本庄村が行政主導で診療所を建て、医師を誘致。大久保医院として開業した」とも聞いていた。記事では「無医村」「診療所は村が建てた」というエピソードを省いたが、そこが面白い。今になって気付いた。深掘りしていたら、もっと違う記事になっていただろう。

 記者としての実力不足を痛感しました。精進します。(土井秀人)

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