三田

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左手前から時計回りに原田さん、山村さん、山岡さん、梶野さん、白川さん=大阪市天王寺区玉造元町
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左手前から時計回りに原田さん、山村さん、山岡さん、梶野さん、白川さん=大阪市天王寺区玉造元町
店内にある元近鉄の加藤哲郎さんのサイン。写真左は仰木彬監督
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店内にある元近鉄の加藤哲郎さんのサイン。写真左は仰木彬監督
近鉄グッズが並ぶ店内
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近鉄グッズが並ぶ店内

 大阪市天王寺区に、プロ野球大阪近鉄バファローズのファンが集まる居酒屋「穂゜ん亭」がある。現在、オリックス・バファローズは優勝争いの真っただ中。さらに1988年にあったロッテ-近鉄の伝説のダブルヘッダー「10・19」の日も近い。「今こそ近鉄について取り上げなければ!」という筆者の個人的な感情もあり、ファンの皆さんに集まっていただき、思い思いに語ってもらった。(小森有喜)

 穂゜ん亭店主の原田哉子さんは、女子中高生の頃から大の近鉄ファン。甘いマスクで女性人気が高かった外野手、島本講平を熱烈に応援し、足しげく球場に通ったそうだ。そんな原田さんがオープンさせた穂゜ん亭は、本拠地だった日本生命球場(日生球場)跡地にほど近く、往年のファンや元選手も多く訪れる。

 この日は、筋金入りの近鉄ファンである会社員の梶野耕司さん(61)、山村一郎さん(51)、山岡篤さん(49)が集まってくれた。近鉄のマスコットキャラクター「バッファ君」の生みの親であるデザイナー白川吉男さん(68)=兵庫県川西市=も輪に加わった。ちなみに筆者も大のバファローズファンではあるが、球団合併後からの新参者。ファン歴はまだ12年と皆さんから見れば「ひよっこ」だが、優しく面白おかしく、球団の歴史やエピソードを教えてくれた。

 ◆至極のドラマ「10・19」

 1988年10月19日。近鉄は西武ライオンズと激しいリーグ優勝争いを繰り広げていた。近鉄はこの日の川崎球場でのロッテ戦、ダブルヘッダーで連勝すれば優勝決定。一つでも敗れるか引き分ければ、西武の優勝が決まるという状況で、運命の日を迎えた。

 第1試合は午後3時プレイボール。近鉄は2点ビハインドの八回、代打村上隆行が2点タイムリーを放ち同点に追いついた。さらに九回、2死二塁のチャンスで代打に送られたのは、その年限りでの引退を決めていた梨田昌孝。2球目をたたいてセンター前ヒットを放ち、鈴木貴久が生還。これが決勝点となって劇的な勝利を飾り、優勝への望みをつないだ。

 

 ◆印象的な久米さんの表情

 「第2試合の途中から世間が騒ぎ始めたのよ」と興奮気味に話すのは原田さんだ。実は第2試合の途中まで中継の全国放送はされておらず、試合の経過を知った全国の視聴者からテレビ局に電話が殺到した、というのは有名な話だ。テレビ朝日は第2試合の7回裏から全国放送に踏み切った。

 7回裏終了時点で、試合は3対3の同点。野球中継は当初の予定より延長されたものの、午後10時から『ニュースステーション』の放送が始まった。オープニングでのメインキャスター・久米宏さんの複雑な表情が印象的だと原田さんは話す。「今日はお伝えしなければならないニュースが山ほどあるのですが…。このまま野球の中継をやめるわけにもいきません」。結局、ニュースステーションは第2試合の中継を優先し、攻守交代の合間などを縫って、ニュースを伝えた。

 試合は4対4の同点で9回に入った。引き分けのままでは、近鉄は優勝を逃してしまう。さらに当時のパ・リーグには延長12回の規定に加えて「試合開始4時間を経過すると9回以降新たなイニングには入らない」というルールがあった。

 タイムリミットが迫り、「早く勝ち越さなければ」と焦る近鉄ナインとファン。しかし、このイニングに事件が起こる。

 ◆有藤監督の抗議に「はよせえ」のブーイング

 九回裏、近鉄の投手・阿波野秀幸が二塁に投げた牽制球を審判が「アウト」と判定した。これにロッテ有藤道世監督が猛抗議した。制限時間が迫る中、近鉄ベンチから「早くしろ」と野次が飛び、スタンドからは「帰れ」コールが起こった。

 「近鉄はとにかく時間がなかった。なんでこのタイミングでこんな長く抗議するのかなと…」。当時高校生でテレビにかじりついていた山村さんは、9分間に及ぶ抗議にいらだった。結局、近鉄の残り時間がなくなって10回表が最後の攻撃に。しかし得点することはできず引き分けが確定し、西武のリーグ優勝が決まった。

 山岡さんが「でも」と切り出す。「優勝した日じゃなくて、負けた日をこうやってファンが神格化して記念日みたいにしてるのって、なんだか近鉄らしくていいですよね…」。全員が深くうなずいた。

 ◆球場の独特の雰囲気

 当時の日生球場の雰囲気について聞いたところ、「とにかく選手との距離が近かった」と皆が口をそろえた。「AKBじゃないけど会いに行ける野球選手、みたいな」と山岡さん。原田さんも球場の周辺で選手とよく会話したそうだ。

 さらに日生球場はファウルゾーンが狭いことでも知られ、物理的にも選手との距離が近かった。山岡さんは「大声出さなくても、ブルペンで準備してるピッチャーに『ちゃんと投げえ』って言えるぐらい」と冗談めかす。

 当時のパ・リーグと言えば、野次の話題は外せない。「近鉄ファンがやじると阪急ファンが野次り返す。球場にそれが響いているのが面白くて、まるで『日生劇場』」と原田さんが懐かしむ。

 「“電車野次”もあったね」と梶野さん。私鉄が所有する球団が関西にひしめいていた当時のパ・リーグならではで、近鉄ファンによる「南海電車はボロ電車、近鉄電車は2階建て」が印象的だという。

 「球場の雰囲気はもう、狭い・汚い・暗いって感じやったね」と原田さんが笑うと、梶野さんが冗談めかす。「プロ野球ニュースで各球団の試合やるでしょ。日生球場だけ何か暗いんですよ」。居酒屋が笑いに包まれた。

 ◆奇跡が続いた2001年

 2001年のリーグ優勝は若い近鉄ファンにとっても記憶に新しいだろう。シーズン終盤はダイエー、西武と激しく優勝を争い、迎えた9月24日、西武戦の大一番。タフィ・ローズがエース松坂大輔から55号ホームラン=当時のシーズン最多本塁打記録。さらに9回に北川博敏が同点ホームランを放ち、中村紀洋の逆転サヨナラホームランで「マジック1」とした。

 山村さんはこの試合を現地観戦していた。「それはもうね…。球場は騒然とするというかお祭り騒ぎで。ほんまに優勝するんか?という信じられないような不思議な気持ち」

 極めつけは9月26日。この話題は近鉄球史を語る上で外せない。3点ビハインドの9回裏、北川博敏が「代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン」を放つという奇跡を起こした。この日は山岡さんが球場で観戦しており、「何が起こったか分からないというか。もうドラマですよね。あの瞬間は忘れられない」と興奮ぎみに話す。

 この年の「いてまえ打線」はホームラン(211本)と得点(770)が両リーグ最多だが、一方で745失点は両リーグワースト。豪快な野球でファンを魅了した。

 ◆合併、そして「近鉄難民」が続出。

 そのわずか3年後の2004年、近鉄はオリックス・ブルーウェーブと合併。デモ行進するなどしたファンの反発もむなしく、球団は半世紀に及ぶ歴史に幕を閉じてしまう。

 この話題になると、全員の表情が曇った。新しくできたオリックス・バファローズを応援しようとしても、どうしても違和感を覚えてしまう。しばらく応援するチームがなくなる「近鉄難民」に全員が陥ったそうだ。それでも、2010年代に入って球団が「近鉄復刻試合」をするようになったのをきっかけに再び応援し始めた人が多いという。

 

 ◆今年のバファローズ、あるで

 「今の打者でいてまえ打線を思い出すのは、やっぱりラオウ(杉本裕太郎選手の愛称)やね」と梶野さんが口にすると「あ~」と全員が納得した。

 また山岡さんは、今年の山本由伸投手が「防御率だけでなく、チームに勝ち星をもたらす投球をする」という意味で、阿波野秀幸と重ねてしまそうだ。「それで言ったら紅林(内野手)は村上隆行や!」などと盛り上がる皆さん。球団は変わっても、みんな近鉄の選手と重ねて見てしまうんだなあ、と筆者もしみじみとした。「今年は優勝してもらわなあかんね、いけるよ」と誰かが口にすると、また盛り上がった。

 

 ◆ぶっちゃけ、合併した球団を応援するのは複雑ではない?

 そう聞くと、山岡さんが「今はそんなことないですよ」と言った。「ブルーウェーブのファンだって神戸から実質移転してしまって悲しみを味わった。一方、近鉄は球団を失ったけれどもそこ(大阪)にはある、というね」。「どっちも傷が残っているわけだけど、こんな球団は他にない。それこそ阪急ブレーブスの歴史までくんでいるわけですから。じゃあみんなで一緒に応援していきましょう、というところです」

 ◆悲願達成なるか

 現在のオリックス・バファロースのチャンステーマ(応援歌)に、こんな歌詞がある。

 「♪ここで立ち向かえ戦士達 悲しみ乗り越え突き進め 真紅と蒼の魂を 炎と燃やして攻めろ」

 「悲しみ」は球団合併という歴史、「深紅」は近鉄、「蒼」はブルーウェーブを表現している。ファンが渇望している「優勝」の二文字に向け、二つの魂が混じり合う歓喜の瞬間はおとずれるのか。かたずをのんで見守るしかない。

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