ピンチの後には必ずチャンスが訪れると考えています。しかし誰にでもどこにもチャンスが訪れるとは限りません。そしてチャンスが訪れた時、それを生かす考えや方向性を持っていなければいけないと思います。
阪神・淡路大震災の時は「そぞろ歩きのできる温泉街をつくる」という目的があり、チャンスを生かすことができて今の有馬温泉になりました。現在は「プレミアムな国際温泉リゾート地をつくる」という目的を持っています。これはいわゆるマスタープランと呼ばれるもので、策定時にはドイツのバーデンバーデンに視察に行きました。
ローマ帝国が領土拡大の際に、兵士の保養の目的で温泉を利用しました。そのローマ帝国を滅ぼしたキリスト教徒は、医療と温泉を組み合わせ、療養目的で温泉を利用するようにしました。その代表的な国がドイツといえます。
日本も湯治といって昔から温泉を療養目的に利用してきました。明治に入り日本政府に招かれたドイツの医師が日本の温泉地を視察し、多くの日本人が温泉を利用しているのに驚いたといいます。当時ドイツではあまり温泉が利用されていなかったのです。
そこでドイツに戻り、日本の温泉の利用方法を採用することにしました。それが「混浴」です。一方その日本では、ペリーがアメリカ政府に提出した報告書で「混浴は野蛮」と非難したため、混浴禁止令が出され、現在に至っています。
バーデンバーデンに昔からある公衆浴場フリードリクスバートは、左右対称で男女に分かれていますが、最後のエリアでは混浴になっています。そして新しいカラカラ浴場は、らせん階段を上れば2階は全て混浴スペースになっています。混浴体験を口実に有馬の若手を集めてドイツに行くことにしました。
城を利用した観光協会の事務所でバーデンバーデンの観光戦略を聞きました。道路の中央に設けてあるポールが自動的に上下して、許可された車だけを通す交通政策も見ました。街の周遊性を高める工夫など、多くを学んできました。
行ったからこそ、ドイツには大小多種なソーセージが存在することを知り、それをさかなに皆でドイツビールを楽しみました。その経験や学んだことをアフターコロナで生かしたいと考えています。(有馬温泉観光協会)
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