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丹波竜の全身骨格模型を解説(2018年4月)
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丹波竜の全身骨格模型を解説(2018年4月)
丹波竜発見10年の節目に神戸新聞社のインタビューに応じる三枝春生さん(2016年8月)
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丹波竜発見10年の節目に神戸新聞社のインタビューに応じる三枝春生さん(2016年8月)
三枝さんと共に研究を進めた県立人と自然の博物館の池田忠広主任研究員=丹波篠山市西古佐
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三枝さんと共に研究を進めた県立人と自然の博物館の池田忠広主任研究員=丹波篠山市西古佐
三枝さんが発掘調査に使っていたハンマーやタガネ
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三枝さんが発掘調査に使っていたハンマーやタガネ

 大型恐竜「丹波竜」研究の第一人者で兵庫県立人と自然の博物館(同県三田市弥生が丘6、ひとはく)の主任研究員を務めた三枝春生(さえぐさはるお)さんが今年1月、63歳で亡くなった。丹波竜化石発掘調査の指揮を執り、太古の生態系の解明に情熱を傾けた。中瀬勲館長(74)ら関係者に在りし日を聞いた。(小森有喜、土井秀人)

 三枝さんは1992年にオープンする前の「設立準備室」段階からひとはくに関わった。中瀬館長は「各地の研究者が準備室を訪れた際、大声で楽しそうに化石の話をしていたのが印象的」と懐かしむ。専門分野への探究を尽くし、若い時から臆(おく)せず自分の主張をする姿に「自立した学者像」を感じたという。

 丹波竜は2006年、丹波市山南町で地元男性2人が発見。ひとはくに持ち込み、三枝さんが恐竜化石と断定した。

 「すごい恐竜の骨が持ち込まれた」。三枝さんは自宅に帰るなり、夕食を作っていた妻恵子さんの横に立って話し続けた。「こんな近くで見つかるとは」「鳥肌が立っている」「宝くじが当たるよりすごいこと」…。恵子さんは「普段、家では仕事の話をせず、冷静沈着な人だったけど、この時はすごく興奮していました」と穏やかに話した。

 丹波竜は新属新種で国内最大級の植物食恐竜と分かり、全国的なニュースになった。三枝さんが付けた学名は「タンバティタニス・アミキティアエ」。アミキティアエはラテン語で「友情」を意味し、発見した男性2人の絆を表現した。

 同じ古脊椎動物の研究者として共に仕事をしたひとはくの池田忠広主任研究員(43)は「バディー(相棒)のような関係性だった」と振り返る。丹波竜の研究では発掘現場を格子状に細分化。恐竜の発掘調査としては珍しく、全ての石に番号を振り、恐竜以外の化石も含めてどこで見つかったかデータを取った。三枝さんの「のべつ資料を集め、周囲の環境や生物相も知ることが不可欠」との考え方からだった。「とにかく化石愛が強い人。研究に対して絶対に妥協しない姿勢を感じた」

 恐竜の研究は注目度も高く、報道各社からは頻繁に問い合わせが入った。「調査のたびに何か発表しないと、という気持ちがあったと思う」と池田さん。発掘と並行しながら文献をめくり、思案する姿をよく覚えているという。

 三枝さんはもともとゾウの系統進化の研究が専門で、ここ数年は再び関連論文を発表していた。「まだまだ研究を続けるつもりだったはず」と池田さん。現在、三枝さんの残した膨大な文献や資料を整理しており、「三枝コレクション」として研究に役立てる。

 丹波竜以外にも、三田市で哺乳類化石などの発見に尽くした。神戸新聞三田阪神版の「ひとはく研究員だより」にも寄稿し、化石発掘の魅力を語っていた。中瀬館長は「本当にたくさんの話題を生みだし、ひとはくの成長の根源をつくってくれた」と感謝を述べた。

■地域に貢献「大変残念」 丹波市の関係者からも惜しむ声

 丹波竜の化石発掘で地域を盛り上げた研究者の訃報に、地元丹波市の関係者からも惜しむ声が相次いだ。

 「もっと丹波竜の研究をしてほしかった」と話すのは、丹波竜の化石を発見した1人、村上茂さん(77)=丹波市。県立人と自然の博物館(三田市弥生が丘6)に化石を持ち込んだ際、応対したのが三枝春生さんだった。恐竜の化石と分かった瞬間、興奮した様子だったという。「丹波竜以外も見つけたいと話していた。三枝さんが亡くなり、私にとっての丹波竜の物語が終わりを迎えた気分」と肩を落とした。

 丹波市教育委員会恐竜課の田原弘義課長(59)は「丹波竜の発見は、地域活性化につながった。三枝先生には丹波竜化石工房ちーたんの館の監修などいろいろとお世話になっただけに、大変残念でならない」と話した。(真鍋 愛)

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