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病と向き合ってきた日々を話す溝口さん=高平小学校
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病と向き合ってきた日々を話す溝口さん=高平小学校
児童は車いすに乗る怖さや押す大変さを体験した=高平小学校
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児童は車いすに乗る怖さや押す大変さを体験した=高平小学校
溝口さんが友人と作ったピースサイン
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溝口さんが友人と作ったピースサイン

 「病気が教えてくれたこと」と題した人権教育講演会が高平小学校(兵庫県三田市下里)であった。同校の卒業生で厚生労働省指定難病「遠位型ミオパチー」患者の溝口靖子さん(34)が登壇し、後輩たちに自身の経験を基に伝えた。「どんな時も、自分の人生を楽しんで」(喜田美咲)

 遠位型ミオパチーとは、手足の先など心臓から離れた部分から筋力が低下していく病。現在、溝口さんは電動の車いすに乗って生活しており、動かせる右手を使い交流サイト(SNS)で自身のことを発信している。

 「聞いたことない(病名)よね。私もみんなと同じ年の頃は体育館でバレーボールをして、羽束川で遊んでたんやで」

 保育士を目指して湊川短期大学に通っていた20歳の時。友人らから「脚どうしたん」と言われるようになった。痛みはなかったが何かをかばうような歩き方になっていた。最初に行った病院では「個性だから気にしなくて大丈夫」と言われた。しかし、保育士として働きだしてからも同僚から心配されたため、別の病院を受診。病を告げられた。

 驚いた。でも当時は、合わないと思っていた職場を辞める理由ができたと思っていた。「やりたいことをやっておかなきゃ」という原動力にもなった。一人旅に出たり、イルカと泳いだり。バンジージャンプは体の条件が合わず、嫌がる友人が代わりに飛んでくれた。

「動けるのに、社会が動いていいと言わなかった」

 少しずつできないことが増えてきた。「この写真ね、ピースできてへんやろ」。手がうまく動かなくなってきた時、友人になにげなくできないことを伝えたら、一緒にVサインをつくってくれた。

 「やりたいことリスト」がこなせてきた頃、仕事を再開することにした。接客業を望んだがことごとく落ちた。「私は動けるのに、社会が動いていいと言ってくれなかった」。毎日たくさん泣いた。うるさくないようにクッションに顔をうずめた。吐き出したらすっきりして気持ちが整理できた。事務職で雇ってくれる会社に勤めた。

 つえから手動の車いす、5年ほど前からは電動の車いすに乗り換えてきた。「でも今もじゃんけんができるの」と話し、児童と対決。「じゃんけん、パー」と口で言う。隣の人に代わりに手を出してもらう。「方法を探せばいくらでもある」

「助け合いの経験、悲しみから抜け出すスイッチに」

 かつてはみんなに迷惑をかけているという気持ちでしんどかった。でも誰もが迷惑をかけて生きているんだと思えるようになり、少し楽になった。助け合い、お互いに返して生きている。行動で返せなくても「ありがとう」と伝えればいい。たくさんの人に支えられていること、優しい人がたくさんいること。自分の幸せを考えて生きること。「そんな経験が悲しみから抜け出すスイッチ。病になって気付くことができた」

 講演の後には児童が車いすを体験。小さな段差でも乗り越える難しさを知ってもらった。大学生らと協力して進めているバリアフリー設備を探す街歩きイベント「ウィーログさんだ」についても紹介した。溝口さんは「車いす利用者が出歩くのがおっくうにならないように、一緒に考えてみてほしい」と伝えた。

 車いすを押した5年の男子児童(11)は「段差でタイヤを浮かせるには力が必要で大変だと分かった。話を聞いて、自分の思いを言葉で伝える大切さを学んだ」。別の男子児童(11)は「自分が病気と分かったら悲しくて動けなくなると思うから、溝口さんはすごい。これからどう生きていきたいとか考えたことがなかったけれど、夢を持ちたいと思った」と話した。

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