■藤井俊夫主任研究員
万葉集は783(延暦2)年にまとめられたとされ、歌の総数は4500首を超え、そこに登場する植物も海藻から蘚苔類、シダ植物、種子植物など、200種以上が詠まれている。最も多く詠まれたのが、ハギ(2142首)、次いでウメ(118首)、マツ(75首)となっている。
今回は「わすれぐさ」について、万葉仮名の「漢字」の間違い(写し間違い)を考慮して解釈を試みた。わすれぐさは、万葉集には4句がうたわれている。万葉仮名の原文では「萱草(かんぞう)」「野萱草」と記述され、現在のヤブカンゾウに当てられている。
ここで万葉集の上記4首を素直に解釈すると、「萱草」の句は美しい花を咲かせる現代のカンゾウについての描写はなく、故郷や恋する女性を忘れないためにつなぎとめる「運命の赤い糸」の役目を果たしていると考えられる。運命の赤い糸は中国の故事「赤縄を結ぶ」に由来するとされている。
ここで「萱草」の漢字が違うのではないかと考え、発音が同じ「莞(かん)」の字に置き換え、「莞草」で調査を行った。するとカンエンガヤツリの中国名が莞草であることが分かった。カンエンガヤツリは東南アジアから中国、朝鮮半島に広く分布する亜熱帯性の湿地に生える多年草である。この植物は朝鮮ではワングルと呼ばれ、帽子、花むしろ、たばこ入れなどに利用されている。
萱草を莞草に置き換え、万葉集を読み直してみると、3巻334番の「忘れ草わが紐(ひも)につく香具山の古りにし里をわすれむがため」は、「莞草の紐をつけて故郷の香具山を忘れないようにしよう」と読める。4巻727番「忘れ草我が下紐につけたれど」は、「莞草を腰紐にする」と読むことができる。11巻2475番「恋忘れ草見るにいまだ生ひず」は、「私の恋心は莞草のようにつながっていて、まだ老いることはない」となる。12巻3060番は「忘れ草我が紐に付く時となく思ひわたれば」は「萱草を紐にすれば私の思いは伝わるだろう」と読める。この解釈では、歌に詠まれた「紐」の意味に留意して「萱草」をカンエンガヤツリとすれば合理的に説明できると考えられる。
以上のことから「萱草」は、後世の漢字の写し間違いで、本来は「莞草」であり、その正体は繊維作物として利用されたカンエンガヤツリと考えられる。カンエンガヤツリとした場合、万葉時代では九州の一部などにまれに見られる植物であり、大陸から伝わる貴重な繊維作物であった可能性がある。その貴重性から歌に詠まれたのではないだろうか。
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