透明な歌声は健在だった。7月、大阪・ビルボード大阪の舞台に立った歌手の太田裕美。代名詞ともいえる「木綿のハンカチーフ」をはじめ9曲を披露した。大病の経験を経て「今はステージに立てることができて、本当に幸せ」と喜びをかみしめる。10月8日には稲美町でイルカと共演、兵庫のファンに元気な姿を披露する。
1974年、19歳の時に「雨だれ」でデビュー。「花の中三トリオ」と呼ばれた山口百恵、桜田淳子、森昌子らが人気を博していた頃だった。翌年、作曲家筒美京平、作詞家松本隆による「木綿のハンカチーフ」と出合い、一躍、トップアイドルに踊り出た。
「素晴らしい作品をいただき私は幸せだった。筒美先生、松本先生との出会いは奇跡だと思う」
ニューミュージックが歌謡界を席巻していく流れに乗り、ボーカリストとして活躍。さらに確かな歌唱力を生かし、ジャズなど幅広いジャンルの曲をカバーしてファン層を広げてきた。
だが45周年を迎えた2019年、突然のがん告知。歌手人生に暗雲がたちこめた。「仕事を続けられないのではとの不安に襲われた」。医師の励ましと周りの協力を得て、治療しながら舞台に立つ選択をした。
好きな酒を控え、コンサートに臨んだ。幸い、治療後の回復は順調で、現在は経過観察中。コロナ禍で多くのイベントが中止となったが、逆に貴重な療養期間となった。
ライブではアンコールにも応え、ジャズバンドの演奏をバックに、「虹の彼方に(オーバー・ザ・レインボー)」を歌い上げた。「がんの発症とコロナ禍が重なっていたら、もっと大変だったと思う。これからも歌える限り、舞台に立ちたい」
稲美町の公演のチケットは完売している。(津谷治英)