「検査の結果ですが、残念ながら陽性が出ました」--。医師から告げられた。私たち夫婦は1週間以上、体調に異変を感じていたから、その時は「やっぱりか」と、どこか安堵した気持ちになった。だが、症状のつらさは予想をはるかに超えるものだった。自宅療養中に、私のことをいつも気に懸けてくれていた祖父が亡くなり、葬儀に参列するかどうか判断を迫られた。ウイルスに振り回された記者(27)のコロナ感染記をお伝えしたい。
■原因不明の体調不良
体調不良を訴えたのは、一緒に暮らす妻(27)からだった。LINEで「ちょっと風邪っぽい」というメッセージとともに「37・2度」と表示された体温計の写真が送られてきた。
神戸市内で感染者が急拡大していた1月中旬のことだ。微熱だが、念のため兵庫県のコールセンターに相談した。
「どうしたいですか?」と尋ねられ、妻にPCR検査を受けさせたいと伝えた。病院では、検査するかどうかは医師の判断によると説明されたため、案内された県の無料検査を受けることにした。
結果は陰性。ほっとしたが、妻は微熱と体のだるさ、喉の痛みなどの症状が継続した。当面は様子を見守るしかなかった。
■発症(0日目)
会社に報告し、在宅勤務に切り替えた。だが、私のPCR検査の結果は「陰性」だったため、数日後、職場に復帰した。
症状が出たのはその1週間後だった。
喉の奥にかすかにかゆみを感じた。幼い頃から風邪の前兆を喉で感じることが多く、この時も「この前、布団かぶらずに寝たからかな」と思った。前日に受けた2回目のPCR検査も「陰性」だった。
発症2日目、喉のかゆみは痛みに変わり、体のだるさ、熱っぽさも感じるようになった。
たんがひどく、せき払いを繰り返していると喉の奥が切れて血が出た。体温は36度台だったが、歩くことさえつらく、息を吸い込むのも痛い。それでも、この日受けた3度目のPCR検査は「陰性」だった。
微熱が出てから10日ほどたった妻も、だるさが続いた。新型コロナじゃなければただの風邪? それとも他の病気? 不安になった。
■陽性判明(4日目)
検査翌日に高熱が出た。症状は悪化する一方だ。自宅にあった解熱剤を飲むと一時的に改善するが、すぐに熱が上がる。発症から4日目の未明、39・5度まで上がり、体の熱さと息苦しさで一睡もできなかった。
「さすがにただの風邪ではない」と思い、朝になって発熱外来を受け付けている神戸市内のクリニックに相談。第6波の真っただ中でPCRの検査キットが不足しており、抗原検査を受けることになった。
妻も一緒に検査を受けられないか聞いたが、「検査キットが限られている。家族で症状が一番ひどい人しか検査できない」と断られた。
私の結果は「陽性」。この時点では、原因がはっきりしたことで、ほっとした。
帰り際、診断書や自宅療養のガイドを受け取った。対応してくれたスタッフは思いっきり手を伸ばし、できるだけ近づかないように注意していた。「ああ、コロナ患者になったんやな」と実感した。
帰宅後すぐ、薬剤師が処方薬を届けてくれた。「しっかり安静にしてれば大丈夫。元気出して」。励ましの言葉がうれしかった。
■中ぶらりんの妻(5~10日目)
私は翌日、保健所からの電話で「軽症」と認定され、7日間の自宅療養となった。
1LDKの部屋で一緒に過ごしていた妻は本来、濃厚接触者になるはずだが、保健所の判断は微妙だった。
「陰性」ながらオミクロン株と似た症状があること、私の発症以降は悪化していないことから、「今後、状況が悪化したり、陽性になったりしなければ、自宅待機期間はご主人と同じでいいと思います」と言われた。
神戸市はこの時点で、検査無しで医師が新型コロナかどうかを診断する「みなし陽性」(疑似症)を認めていた。でも、そもそも受診ができない。中ぶらりんの状態になった。
薬を飲んで安静にしていた私は症状が改善した。診断から3日後、ほとんど症状がなくなった。
一方の妻は、だるさやせきがだらだらと長引き、発症から完治まで約1カ月かかった。
■祖父の死
「じいちゃんの調子が悪くなってきてる」
母から祖父の状況を知らされたのは、自宅療養中だった。約1年間、病気の治療を続けており、昨年末から悪化しているとは聞いていた。それでも正月に会った時は食事を少し取り、会話もできていた。だから信じられなかった。
母に促され、テレビ電話をした。母と祖母の問い掛けに「うん」としか返事できない祖父。正月の様子からは想像できないほど弱っていた。
その10時間後、祖父は亡くなった。画面越しだったが、最後に姿を一目見られて良かったと思った。
■葬儀
葬儀は2月上旬の療養終了の翌日に執り行うことになった。「体調も良くなったし、ぎりぎり間に合うかな」と思った。
だが、親からは「親戚は高齢者ばっかりやから。残念やけど」と言われた。気持ちは理解できたし、逆の立場なら私も同じことを言ったと思う。一度は「分かった」と返事をした。でも、もう二度と姿を見ることができないと思うとつらかった。
高校時代、部活動の遠征で近くに行った時には必ず応援に来てくれたな--。毎朝、神戸新聞を開き、私の署名記事を探すのが楽しみと言っていたな--。
「やっぱり行くわ」。考えれば考えるほど抑えられなくなり、葬儀前日、そう伝えた。
「高齢者に感染したらどう責任取るねん」と最後まで反対する親族もいた。でも、症状がなくなって3日がたっていたこと、保健所から「日常生活に戻ってもいい」と連絡を受けたこと、親から「最後は自分で決めたらいい」と言われたことなどから、参列を決めた。
葬儀から1カ月がたったが、親族から感染者は出ていない。ほっとしている。
■油断は禁物
妻の体調不良から始まり、自宅療養を終えるまでにかかった日数は19日間。2回目のワクチン接種から3カ月ほどしかたっていないのに、高熱や喉の痛みの症状は、「ただの風邪」とは比べものにならないものだった。さらに、症状以上にきつかったのが、「感染者」になることで大事な瞬間に立ち会えなくなる可能性があったことだ。
第6波のピークは過ぎつつある。だが、油断はせず、感染対策を徹底してほしいと、心から思う。
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