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SLのプレートを持つ板橋さん=西宮市(撮影・斎藤雅志)
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SLのプレートを持つ板橋さん=西宮市(撮影・斎藤雅志)
山陽新幹線開通時に取得した新神戸発西明石行きの1番切符=西宮市(撮影・斎藤雅志)
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山陽新幹線開通時に取得した新神戸発西明石行きの1番切符=西宮市(撮影・斎藤雅志)
自室の壁を埋める鉄道のプレート=西宮市(撮影・斎藤雅志)
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自室の壁を埋める鉄道のプレート=西宮市(撮影・斎藤雅志)
自室のベッドはB寝台の寝床=西宮市(撮影・斎藤雅志)
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自室のベッドはB寝台の寝床=西宮市(撮影・斎藤雅志)
新神戸駅の一番切符いろいろ=西宮市(撮影・斎藤雅志)
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新神戸駅の一番切符いろいろ=西宮市(撮影・斎藤雅志)

 山陽新幹線の開通と同時に開設されて15日で丸50年になるJR新神戸駅(神戸市中央区)で発売された最初の切符「一番切符」を手に入れた男性が兵庫県西宮市にいる。「集め鉄」と呼ばれる鉄道品の収集マニアにとって、それは最上級の代物だ。「絶対に取る!」。愛好家の順取り合戦が激化する中で窓口前に並び始めたのは、なんと5日前。話を聞くと、当時の熱狂ぶりが見えてきた。(村上貴浩)

■給料1カ月分をつぎ込み

 元阪急電鉄職員の板橋利喜造さん(74)。

 自宅につくった「鉄道部屋」に入らせてもらうと、駅名を書いたプレートや車両模型など数十万点のコレクションが所狭しと並ぶ。奥の棚から一冊のファイルを取り出し、明治時代の切符や札幌冬季五輪の周遊券がずらりととじられる中に、50年前のそれはあった。

 新神戸駅が発売した全23種類の一番切符だ。

 「新幹線自由席特急券 新神戸-東京」「特急・急行用グリーン券 新神戸-岡山」「特定急行券(割引)新神戸-西明石」…。厚紙でできた「硬券」も、薄い紙でできた「軟券」もあり、「0001」と印字がされている。

 1972年3月15日午前5時、板橋さんは100人以上の列の先頭に立ち、当時の給料1カ月分になる約1万7千円が入った封筒を駅員に手渡して告げた。

 「一番切符を全部買います」。報道陣のフラッシュが一斉に瞬いたのを覚えている。

 生まれ育ったのは、兵庫県西宮市松原町の阪神電鉄西宮東口駅(廃止)の近く。子どもの頃から駅が遊び場で、ホームを駆け回って駅員と話すのが大好きだった。

 10歳の頃、道で1枚の切符を拾ったことから「鉄ちゃん人生」が始まった。

 「切符は改札を出るときに返すので奇跡に思えた。もちろん、今も宝物です」

 63年、中学を卒業してすぐに阪急電鉄に就職。改札員や乗務員をしながら本格的に切符やグッズを集め始めた。競り市に通ってコレクションを探し、愛好家たちと交換も楽しむ。

 中でも過熱化したのが一番切符だったという。「当時は高度経済成長の真っただ中。全国で駅がどんどん新設されるたび、マニアが競って何日も前から並ぶようになった」

■職場にも探りの電話が

 64年10月の東海道新幹線開業に向けては3日前に新大阪駅へ着いたが取れなかった。ライバルだった事務メーカー重役の男性が既に並んでおり、部下を交代で並ばせるという戦略をとっていたのだ。

 「悔しかった。『次こそは』という思いがふつふつとわき上がってきました」

 数年後、業界紙「交通新聞」を見て心に火が付いた。記事は新大阪-岡山駅間に新幹線を開通させ、神戸に新駅を新設する構想を伝える。新駅とは、後に正式決定する「新神戸駅」だ。

 「絶対に1番を取りたい!」。開設日が発表されると、ライバルたちが何日前に来るかを想像した。3日前では新大阪と同じ失敗を踏みかねない。それなら4日前とみんなも考えるだろう…。そこで、思い切って5日前にしようと決めた。

 仕事中、上司が「今回は何日休む?」と聞いてきた。ライバルたちとの情報戦は激化し、職場にもたびたび「板橋さんはいつから休みますか?」と探りを入れる電話が入るため、趣味は同僚にも知れ渡っていた。

 そんな事情を察して、上司は気遣いと応援を込めてこう言ってくれた。

 「今回は5泊6日ですか。いつもの電話があったら2、3日って言っとくね」

■猛烈な取材を受けて

 72年3月10日夕、折りたたみ式のベッドや寝袋、ラジオを抱えて自宅を出発した。まだ工事中の新神戸駅に入ろうとすると作業員に止められたが、事情を話すと「こんなに早く!?」と、のけぞりつつ駅舎に入れてくれた。

 -まだ誰も来ていない。現れた駅員は「もう来たんですか!?」とあっけにとられた様子で「この辺にしましょうか」と列の先頭場所を決めた。

 「先頭になるとホッとして…。それでも、途中で倒れたりしないようにという緊張がずっとあった」。

 雑誌を読んだりラジオを聞いたりして過ごしていると、母の手作り弁当を父が届けてくれた。駅舎内は最初、工事関係者ばかりだったが、日に日に切符を求める列が伸びていく。

 「『もうちょっと、もうちょっと…』と気持ちが高ぶっていった」

 15日午前5時、改札口を覆ったカーテンが開き、駅舎内が明るくなった。

 「板橋さん、今の気持ちは!?」「良い顔して!」。

 切符を受け取ると報道陣から猛烈な取材を受けた。新幹線には乗らず、大切にかばんにしまって自宅へ帰り、気絶するように眠り込んだ。

■200人が並んだけれど…

 「山陽新幹線スタート/“超高速時代”幕開く」

 その日の神戸新聞夕刊はそんな見出しで新大阪-岡山間各駅の祝賀ムードを伝える。結局、新神戸駅では約200人が並んだが、大半が切符狙いで新幹線には乗らずに帰ったため、「一番乗り」には当日午後4時すぎに並んだ神戸市の49歳男性が繰り上がったという。

 一番切符の大半を手にした板橋さんはその後、宝塚歌劇の営業経理に出向し、60歳で現役を引退。新神戸駅で興奮を味わってから50年がたった。

 今は鉄道写真を撮る「撮り鉄」になって全国各地を回っている。北海道や四国、九州ではローカル線の利用者が減り、廃線になるのも多い。「鉄道は乗ってなんぼ。もっと乗ってあげてほしい」と話す。

 自宅の鉄道部屋には、寝台式列車に似せた木製2段ベッドを備え付けている。寝台列車で寝るという夢をかなえたいと設計士に頼んだ特注品だ。さらに寝台に上がるためのはしごは、1988年に日本を走った「オリエント急行」で実際に使われたものという。

 今日も部屋の小さな机でコレクションや写真を眺め、晩酌を楽しむ。新神戸駅の一番切符をしみじみと見て「集め鉄たちの熱気がとりわけ高まった時期だっただけに、一番思い入れのある品の一つ」と語って付け加えた。

 「今やICカード一つで電車に乗れるようになったけれど、この味のある魅力を若い人たちにも知ってほしい」

阪神神戸
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