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当時小学3年生だった被害女性が事件を振り返った=兵庫県内
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当時小学3年生だった被害女性が事件を振り返った=兵庫県内
神戸連続児童殺傷事件から25年。今も様子がほとんど変わっていない現場もある=神戸市須磨区(撮影・吉田敦史)
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神戸連続児童殺傷事件から25年。今も様子がほとんど変わっていない現場もある=神戸市須磨区(撮影・吉田敦史)
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■「ああ、やられた」一瞬の出来事、9歳少女の人生変えた

 待ち合わせをした場所で友達が話す姿が、すぐそこに見えていた。

 日曜日の昼すぎ、神戸市須磨区の住宅街。歩道で、右前から来た見知らぬ男とすれ違いざまぶつかった。当時は小学3年生。体格差がある。男は何も言わず通り過ぎた。「なぜ謝らないの」。振り返ると、小走りで立ち去る姿が見えた。

 直後、世界が回り始めた。息が切れ、真っ白になった。おなかが熱くなった。友達のところにたどり着くなり、しゃがみこんだ。熱さの元を触ったら、手に血が付いた。「ああ、やられた」「さっきのや」。刃物は見えなかったが、確信した。一瞬の出来事が、9歳の少女の人生を、変えた。

 1997年3月16日、連続児童殺傷事件で刺された女性(34)。四半世紀を経たが、記憶は鮮明だ。なかなか救急車が来ず「死んでしまう」と泣いていた姉。高速道路で救急搬送中、一般車に道を空けるよう呼び掛ける隊員の声。手術台で、丸い電球がたくさん並んだライトが「バン」とついたのも、覚えていた。

 その日は厚着だった。肌着にポロシャツを着て、トレーナーを重ね、さらにダッフルコートを羽織っていた。それでもナイフは胃を貫通し、深さ8センチにも達していた。現場に片足はだしで駆け付けたという母(61)は、娘の唇が紫色だったのを覚えている。

 大量の輸血を受け、緊急手術の結果、奇跡的に命を取り留めた。しかし、同じ病院で治療を受けていた小学4年の山下彩花ちゃん=当時(10)=は、1週間後に亡くなった。少女が腹を刺される約10分前、彩花ちゃんはすぐ近くの路上で、頭を金づちで殴られていた。

 このときは「連続通り魔」として報道された。その2カ月余り後、小学6年の土師(はせ)淳君=当時(11)=の遺体が見つかる。「酒鬼薔薇聖斗(さかきばらせいと)」を名乗った警察への挑戦状も明らかになり、社会を震撼(しんかん)させた。少女は取り調べで男の身長を聞かれ、「これくらい」と手で示した。それを見た警察官は、こう言ったという。「あ、あんまり高くないね」。逮捕されたのは、当時14歳、中学3年の少年だった。

 捜査関係者によると、この少女の目撃証言などが、少年逮捕の端緒になったという。神戸連続児童殺傷事件は、半世紀ほぼ変わらなかった少年法を「厳罰化」に向かわせるうねりを生んだ。4月1日には、この事件以降で5度目となる改正少年法が施行される。

■25年前、14歳の凶行 今も心身に深い傷

 当時9歳だった女性(34)は、腹部を刺されたが一命を取り留めた。しかし、深い傷が治るのには長い時間を要した。心の傷は、25年たった今も癒えていない。心身ともに壊された。直前に金づちで殴られた山下彩花ちゃん=当時(10)=は亡くなった。

 逮捕された当時14歳の「少年A」は、この事件のころ、ノートに次のような文章を書き残していたという。

 「新聞を読んでみると、死因は頭部の強打による頭蓋骨の陥没だったそうです。頭をハンマーでなぐった方は死に、お中をさした方は順調に回復していったそうです。人間というのは壊れやすいのか壊れにくいのか分からなくなってきました」(原文のまま)

 1997年に神戸市須磨区で起きた連続児童殺傷事件には三つの事件がある。

 一つ目は2月10日、女児2人がショックレスハンマーで頭を殴られた事件。二つ目は3月16日、山下彩花ちゃんが頭部を金づちで殴られて死亡し、直後に小学3年生だったこの女性が刺されて重傷を負った事件。三つ目が5月24日、土師(はせ)淳君=当時(11)=が絞殺され、その後、遺体が遺棄された事件だ。

 死者2人をはじめ、計5人の被害者。加害者が成人であれば裁判はどうなっていたか。当時取り調べに携わった捜査関係者に尋ねた。「求刑は間違いなく死刑だっただろう」。はっきりとした声が返ってきた。

 だが、容疑者は少年だった。

 少年法は49(昭和24)年の施行からこの事件まで、大きな改正は一度もなかった。刑罰の対象は16歳以上で、逮捕された少年は、当時14歳。成人のように刑事裁判を受ける道筋は想定されず、家庭裁判所が非公開の審判を通じて、健全な育成に向けた性格の矯正や環境を整える「保護処分」を行うしかなかった。

 神戸家裁は、医療少年院に送致すると決める。97年10月に公表された決定要旨は、年齢的に人格などが発展途上とし、「普通の人間のような罪業感や良心が育っていく可能性がある」と、将来は罪の報いと向き合える余地があると指摘。「いつの日か、少年が更生し、被害者・被害者の遺族に心からわびる日の来ることを祈っている」と結んだ。

 少年Aは2004年3月、医療少年院を仮退院した。21歳だった。処罰ではなく矯正教育を主眼とする少年法の精神が、「死刑求刑」ではなく「社会復帰」を求めた。

 神戸家裁で審判を担当した井垣康弘元判事は、今年2月26日に82歳で死去した。05年に定年退官。大阪府豊中市の自宅で取材に応じると、大きな卓球台を机代わりにした。趣味でもなさそうなのに、台まで用意して卓球が好きだった「彼」の来訪を待っていた。

 台の横には、専門書や資料が大量に並んでいた。本のあちこちに力強い線が引かれ、記者に少年法の意義も語った。09年のインタビューでは、紙に「社会」を示す円を描いた。井垣氏は、非行少年を円の中から排除する社会ではなく、再び円の中に戻す社会であってほしいと力説した。

 一方、連続児童殺傷事件から4年後の01年4月、刑罰の対象年齢を14歳以上に引き下げ、故意に人命を奪った16歳以上の少年は原則、公開裁判を受けさせる改正少年法が施行された。以降、「刑罰化」の流れは加速していく。

 そして、今年4月1日施行の改正法は、18、19歳を「特定少年」と区別した。矯正教育ではなく、刑事手続きに乗せる対象事件を広げ、扱いをさらに成人に近づけた。

 事件で少年Aに腹を刺された女性に、法改正の受け止めを問うと、こう断言した。

 「人を傷つけたのなら、罰を受け、全力で償うのが当然。年齢だけを理由に犯罪者を守る少年法はいらない」(霍見真一郎、長谷部崇、名倉あかり)

神戸成人未満成人未満 第1部 3人の少年
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