元「上方芸能」誌編集長の木津川計さん（８６）＝大阪市＝が１０日、７０歳を過ぎて始めた「一人語り劇場」に終止符を打った。神戸市立灘区民ホールでのラストステージの演目は「私は貝になりたい」。旧日本軍ＢＣ級戦犯の悲劇を描いた名作ドラマ・映画を取り上げ、「反戦平和の願いが今日ほど身に染みる時代はない」と語りに力を込めた。

　木津川さんは印刷会社を営む傍ら、１９６８年に始めた「上方落語をきく会」の機関誌を、上方芸能全般を扱う専門誌に育てた。神戸大などの非常勤講師を経て、１９８６年に立命館大教授に就任。「一人語り劇場」を始めたのは、定年後の２００７年のことだ。

■名作を再現

　木津川さんのいう「一人語り」とは、演劇や映画、文学作品などに独自の解釈や批評を加えて語る新たな形式。親交のあったボードビリアン・マルセ太郎さん（１９３３～２００１年）の舞台「スクリーンのない映画館」が、命名のきっかけだった。

　形態模写やパントマイムに長けたマルセさんは、巧みな話術に演技を交えて、名画「泥の河」「生きる」などの世界を再現。永六輔さんら見巧者をうならせ、「映画を見るより面白い」と言わしめた。木津川さんもその芸を惜しみ、「作品を語り、批評することで作品を超える」一人語りに挑戦しようと思い続けていた。

　旗揚げの地は、芦屋市立公民館。愛してやまない長谷川伸の股旅物「瞼の母」「一本刀土俵入」を作務衣姿で語りつつ、女性を思慕する心優しい主人公が共感された時代相を読み解いた。

　続く新派劇「金色夜叉」「婦系図」では女性を犠牲にした日本の近代化を明らかにし、新国劇「王将」では阪田三吉をヒーロー視した高度経済成長期のど根性精神に注目。さらに落語、映画、昔話とレパートリーを１６作品にまで広げた。

■右傾化を懸念

　関西を中心に各地から声がかかり、公演数は１５年間で約３００回に。２０２１年には、８作品を半年間連続上演する「一人語り劇場大全集」が神戸でスタートしたが、新型コロナウイルス禍により延期を余儀なくされた。舞台で語り通すだけの体力も衰えてきたことから、「大全集」の最終回で幕を引くことを決めた。

　「私は貝に－」は、召集された理髪店主が、上官の命令で捕虜の米兵殺害を命じられ、気の弱さから失敗するも、戦犯として死刑判決を受ける物語。主人公は遺書に「人間なんて嫌だ。生まれ変わらなければならないのなら、私は貝になりたい」と書き残す。最後にこの作品を選んだのは、「世界的に右傾化の道を進んでいる」という懸念からだった。

　舞台では筋を語った後、脚本を手掛けた橋本忍さん（兵庫県市川町出身）が生前、「何かが足りないと思う」と語っていた逸話を引き、それは、主人公が「無抵抗のまま死んでいく、戦争との向き合い方だったのでは」と説明。ファシズムに抵抗する市民を描いた同時期のイタリア映画「ロベレ将軍」に触れながら、政治学者の丸山真男氏が指摘した「不作為の責任」について紹介。何もしないことで結果的に戦争に加担してしまう事態は「遠い過去や外国のことではありません」と語り掛けた。

■戦争を問う

　つえを突いて登壇した木津川さんは、予定していた１時間半を大きく超えて休むことなく語り通し、ファンや教え子ら約３５０人からは大きな拍手が送られた。

　客席には、木津川さんとは４０年来の友人で、今はモンゴルで暮らす近彩さん（８０）も駆け付けた。くしくもウクライナ侵攻のさなかで行われることになった口演に、「直接そのことはおっしゃらなかったが、一人一人の胸に問われたと思う。この作品を選ばれた意味に感じ入りました」。

　マルセさんの長女・梨花さん（５３）も初めて来場。「父の『記憶は弱者にあり』という言葉や、戦争被害だけでなく加害の問題など、いろんなことを考えさせられた」と話した。

　終演後、「語り尽くすことができた」と笑みを浮かべた木津川さん。これまで関西の演劇人や朗読家に「一人語り」を勧めてきたが、継ぐ人は現れていないという。だが、見詰め続けてきた上方芸能の後進たちへの期待は失っていない。

　「いつになるか分かりませんけど、必ずやってくれる人は出てきます」（田中真治）