死去したアントニオ猪木さん=本名猪木寛至=は2003年12月、クリスマスの神戸市内を行脚していた。阪神・淡路大震災で親を亡くした子どもらが過ごす「神戸レインボーハウス」(神戸市東灘区)を訪れてプレゼントを手渡して励まし、一緒にこぶしを突き上げて「気合」を入れるシーンもあった。
猪木さんは03年の大みそかに神戸で開催された「イノキボンバイエ2003」を前にした同年12月25日、神戸市内を巡った。同市役所で当時の矢田立郎市長にあいさつをした後、長田神社を訪問。イベントの成功を祈願した。
続いて、東灘区のレインボーハウスで震災で親を失うなどした子どもたち約30人と触れ合い、イノキボンバイエの招待券とお菓子をプレゼントして交流した。
さらに、復興のシンボルとなった光の祭典「神戸ルミナリエ」の会場となっている、神戸・元町に移動。ルミナリエをクリスマスでごった返す街頭で、精力的に往来する人たちにアピール。「小学生、女の子からも反応が返ってくる」と、手ごたえを口にしていた。









