■ひとつのもの共有、感じた街の成熟
新型コロナウイルス禍のため3年連続中止になった光の祭典・神戸ルミナリエに代わり、三宮・東遊園地などで「カッサアルモニカ/音楽の宝箱」(12月9~18日)が開かれた。間もなく震災から28年。高原耕平・人と防災未来センター主任研究員が会場で感じた、追悼のありようについて寄稿した。
私は近年、ルミナリエに良い印象を持っていなかった。もうやめてしまえばよいのにと考えていた。
第1回のルミナリエを歩いたことを思い出す。1995年12月、光の別世界をくぐった。街に架けられた満天の電飾に息をのんだ。人々の歩みには生存の確認と、この世でそれを共にしえない人々への祈りが重なっていた。静かだった。ところが翌年には警備員が拡声器で指示する様子に興ざめした。近年は屋台も出ていた。ロマンチックな観光イベントとして定番化したことを悪いとは思わないが、原点が薄れているように感じていた。
そのルミナリエが中止になり、今年は音楽を中心としたカッサアルモニカ(イタリア語で「音楽の家」の意)が開かれた。訪れたのは16日だったが、来てよかったなと思った。
東遊園地南端に設置されたステージに「K-106」が上がり、演奏を始めた。ファンクバンドとの紹介だったが、不意を突かれた。柔らかな旋律と耳を傾ける会場の様子に胸が満ちた。この場所への敬意を感じた。明るく落ち着いた旋律の中に、28年の時間の厚みを忘れさせつつ確かめさせるような、透明度のある哀(かな)しさが織り込まれていた。
軽妙な曲に移ると、人々は静かに体を揺らし始めた。会場は人がひしめき合うほどではなく、程よい空間があった。親子連れや若いカップルや高校生がいて、つえをついた年配の人の姿も見えた。数カ所に立てかけられた電飾と、自然に集まった人々と、バンドの演奏のほかは何もなかった。それが心地よかった。
過剰なメッセージやシンボルが押し付けられることもなく、儀式的な振る舞いも求められていなかった。光と音と12月の冷たい空気、そしてそれぞれの思いを持った市民がそこにいるというだけのことだった。こうした空間は何年ぶりだろう。あの静かな原点が取り戻されていると感じた。良い音楽があるからこそ静かだった。この無理のない充実感はまた、コロナ禍で奪われていたものでもあった。
次に「神戸リーヴァ・ナ・ルーチェ」が登場した。筆者の勤務先に近い、なぎさ小学校卒業生の合唱グループである。まず「しあわせ運べるように」の演奏があった。会場はしんとして聞いていた。わたしはこの歌が苦手だけれど、人々が威儀を正して歌声に参列している光景は、この上なく大切だと改めて感じた。それから「パプリカ」をダンス付きで歌い、東日本大震災から生まれた合唱曲「群青」が続いた。
会場で、大地震の破壊と再建、葛藤と調停を経験してきたこの街の成熟を私は感じた。
祭りのように騒ぐのでもなく、儀式のようにしゃちほこ張るのでもない。若者も震災を知る世代も、かつての被災地の市民として、ひとつのものを共有していた。笑顔があった。そうした緩やかな時間の中で保たれる祈りもある。それは届くべき人々の元に届くだろう。

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